ある本
Exploring Education の中の一節
ずいぶんと昔の話になるが、有名な哲学者アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドがこう尋ねられたそうだ。「事実と観念と facts or ideas、どちらのほうが重要なのでしょう」 彼はしばしの間考え込み、そして答えた。「事実にかんする観念 Ideas about facts」
いい話じゃないですか。
別のある本
佐藤信夫『レトリック感覚』 の一節
よく事実はうそをつかないとか、事実は人をだまさない、などと言うが、それは本当だ。ときどき、事実にだまされる人がいたりするけれど、それは、事実のほうにはいっこうにたぶらかす気がないのに、人が勝手に意味を感じ、勝手に誤解しているのであって、受信者が事実を記号化するからである。そういう人の好い受信者をねらって、事実を記号的に(言語的に)演出してだまそうとたくらむ送信者も出現する。そうなれば、口のきけない事実はすでに事実ではなくなり、まぎれもない記号に変身してしまう。
ちょっと怖いかも。
さらに別の論文(中澤渉「教育社会学における実証研究の諸問題」『教育社会学研究』72)から一節
完全に価値からフリーである状態がありえないことは自明であるが、だからといって逆に、始めから言うべき結論が決定していて、それに合わせたデータのみを選別する、データに手を加えるというのは問題外である。世間に流通する俗説や、逆の立場に属する対抗言説を、実証性のない思いこみで、世間に悪影響を与えていると批判しているが、(その指摘だけは正しいとしても)自己の研究自身も同じ轍を踏んでいることになる。
病気の自覚は健康への第一歩。怖いけどいい話ですね。
Facts do not speak for themselves.