この掛け声のもとで進行している事態を、
竹内洋『日本のメリトクラシー』(東京大学出版会)をテキトーに参考にしながら、試みに創作記述してみるとしよう。
冷却 cool-out
面目と自尊心の失墜をミニマムにし失敗を外傷化 traumatize しないこと。
「本学は研究重視の大学ではない。18歳人口の減少が続くなか、われわれは教育重視の新しいタイプの大学をめざすのだ」
休戦 truce
教員と学生との間に起こりる文化葛藤を最小化するように境界線を引くこと。異文化接触によって生じる異文化衝突を避けるための適応戦略。ただし自己の文化体系は維持する。
「学生とその保護者に信頼されるような大学にして変えていかねばならない。授業評価や父母懇談会での声に耳を傾けよう」
現地化 localization
教員と学生がともに生き残るためにある程度の歩み寄りをすること。大学本来の理想や理念からすれば逸脱ともなりうる。
「本学に入学してくる学生の実態(レベル)を考慮に入れた、学生中心の教育改革を進める必要がある。教員の中心的任務は学生支援・サービスにある」
二次適応 secondary adjustment
教員たちの現地化+休戦によって引き起こされる学生たちの適応戦略。禁じられた満足を許容された手段で充足したり、許容された満足を禁じられた手段で充足し、組織が組織成員に要求する何をすべきか、何であるべきかの前提を欺いてしまうこと。
二次現地化 secondary localization
二次適応の結果をも歩み寄りの対象とすること。大学の理念や教員の自己の文化体系からの逸脱の度合いは増す。
「もしこうしたスキルが未熟であると思うならば、教員は自己の責任においてこれらを鍛錬しなければならない」
完璧な冷却 perfect cool-out
二次現地化の結果を外傷化しないこと。
「わたしは常々、個々の学生の能力や適性を把握して適切な支援を実践しており、学生からも信頼を寄せられている。大学教員としてこれに勝る喜びはなかろう」
かくして、タテマエがホンネに昇格し、両者が一致するという次第じゃ。でめたし、でめたし。。。そうなんじゃろか? のう、野原くん。
「教授は学生に信頼されねばならない」なんてタテマエがある。ぼくが学生のころは、教授を信頼しようなんて夢にも思わなかった。・・・・
ところが当節では、学生の方は信頼できる教授の虚像を求めて自立しないし、そして悲しいことに、教授の方も小心な小官僚になったので、学生の信用が気になる始末だ。どうせ、タテマエに実質をいくら与えようとしたところで、タテマエの包摂できる実質なんてたかが知れているので、それはホンネの衰弱という結果にしかならない。(森毅『文化の中の数学』新潮選書(品切れ)より)
一般的に、学校から「ホンネとタテマエ」という構造自体を駆逐しようとして、その実はホンネが抑圧されてバランスが失われている、というのは今日の学校の症状のひとつである。たしかに、学校というところは、「ホンネとタテマエ」なんてことは言わないのがタテマエだが、機能自体はまさにこの二重構造自体がホンネであったので、すべてタテマエの方になったら破綻するわけである。(同『 学校とテスト』朝日選書(品切れ)より)
森一刀齋爺がこんなことを書いた当時の年齢に儂もとうとうたどり着いてしまったのう。ふぅ。
ザ・モップス(vo.鈴木ヒロミツ)の「たどり着いたらいつも雨ふり」は吉田拓郎の曲だったよね。