スウィフトの
How Not to Be a Hypocrite についてもう少し書く。
探せばこの本への反応は結構な数見つかる。それだけ注目度は大と言えよう。ざっと眺めたところ評価は総じて否定的である。
「タイムズ書評版」におけるアラン・ライアンのお手本。
歯切れがよくて才気に富んでおり、わかりやくておもしろい。ただ、手をつけているほとんどすべての問題にかんして間違っている。これは悪口ではない。いかにそれが真であろうとも、わかりきったことを繰り返し言うよりも、興味深い過ちを犯すほうがはるかに偉大な貢献である。アダム・スウィフトのエラーは啓発的である。( TLS June 6 2003 )
にもかかわらず無視する気になれない理由の一つに、スウィフトとブリッグハウスとの関係がある。どうも親しそうなのだ。後者が編集する創刊間もない雑誌上でこの本をめぐるシンポジウムを催したりもしているし。。。
突然ですが、ブログ(Blog)って聞いたことがありますか。ウェブ上で最近流行ってるやつですけど。Web Log の略。ものすごい勢いで増殖していますが、その特徴は公開が簡単ということのほかに、インタラクティブな機能がレディメイドで利用できるということがあります。学術系サイトでブログの機能を生かすという意味で最も成功している(と私が勝手に思っている)サイトの一つに
Crooked Timber があります。行ってみたほうがわかりが早いですが、雰囲気を味わっていただくため、ちょっとちょっと紹介してみます。まず誰かがネタを振ると(下の紹介例では Harry )新しいページが自動的に作成され、それにコメントが付いていくというのが基本形です。
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2003年11月2日
ダイアン・アポットは偽善者か?
投稿者: Harry
今日の「インディペンデント日曜版」(UK)にアダム・スウィフトが寄せている記事。彼はダイアン・アボットを彼女自身に対して弁護する。
この話題をフォローしていない人のために一言。
我が子を地元の公立学校 local school に通わせまいとする労働党の他の政治家たちにたいしてアポットは繰り返し批判を浴びせてきた。その彼女が、とても金のかかる排他的な(ただし、私の得ている情報によればそれほど良くもない)City of London School に自分の息子を通わせている。自分の意思決定は「弁護の余地なし」と彼女は自分に向かってそう言っている。
How Not to Be a Hypocrite の著者スウィフトは、他人にそうするべからずと言ってきたことをやってしまったのだから彼女は偽善者であるように見えるけれども、彼女が自分の息子を地元の公立学校に通わせるのを拒んだことはたぶん正当だと認められるだろう、と解説している。
このことは、彼女が自分の息子を排他的で金のかかる学校に通わせるということが正当と認められると言うこととは違う、と彼は指摘している。
しかし、私の情報が正しければ、彼女の持ち金を無駄使いしたにすぎないという蓋然性が高い。
イギリス人じゃない人のために一言。ダイアン・アポットは、労働党左派に今なお残っている数少ない扇動者の一人。
(私の母方の祖母はよく、彼女のことを、かなり変な口調で、「色つきのかわいいお嬢ちゃん」と呼んでいた。たぶん、彼女の見た目ではなく彼女の政治姿勢を褒めようとしていたんだと思う。)
投稿者: jdsm
スウィフトの記事を読んだが、明らかに彼女は偽善者だ。ブレアが彼女と同じことをしたとき、彼女はプレアに向かって間違ってると言ったじゃないか。
もっと興味深いこと。
独立学校 independent schools の廃止を欲しているのだけれど、我が子を独立学校に通わせないことが社会正義の増進の失敗につながるだろうとあなたが考えるならば、やっぱりあなたの子を独立学校に通わせる。それは偽善ではない、とするスウィフトは正しいか? 正しいかもしれない。残念なことに、イギリスにおける問題は、独立学校の廃止を政治的に不可能にするに十分な数の人々が独立学校維持に既得権的利益を有しているという点にある。
人口の7%が93%のチャンスをハイジャックすることができるというシステムにはたしかにどこかまずいところがある。
それは比較多数得票制(小選挙区制)と名づけられると私は思う。
投稿者: Abiola Lapite
「人口の7%が93%のチャンスをハイジャックすることができるというシステムにはたしかにどこかおかしいところがある。」
これは信じがたいほどひねくれた物言いだ。
より好ましいと思う学校に我が子を通わせるために額に汗して稼いだ金を使おうと選択するとき、それがどうして他の誰かの「チャンスをハイジャックする」ということになるのか? 税金を納めている限り、私が自分の金の使い道をどう決めようと、それがあなたの仮説的な93%にどんな関係があるというのか? また、私のような者たちの要求を満たしてくれる独立学校を他の人々が作ることを妨げる権利をいったい何が93%の人々に与えるのか?
・・・・・
投稿者: Abiola Lapite
追加。自分を偽善者と呼んだダイアン・アポットは正しかった。
ケンブリッジの卒業生であり、また [・・・過去に軽蔑的な言辞を為した者・・・] であるからには、彼女は知識人であると同時に、自分の説教したことが自ら唱える信条に一致しているか否かをもっともよく知りうる立場にある。
ここには弁護すべきものは何もない。にもかかわらず弁護に固執する者は空虚な詭弁を弄しているのだ。
投稿者: jdsm
独立学校に通う子どもたちがより良い教育、子どもたちにより良いライフ・チャンスを与える教育を得るということをもしあなたが受け入れるならば、独立学校の存在が機会均等に反しているということをあなたは受け入れることになります。
あなたは無条件の outright 平等と機会均等とを区別なさったほうがよろしいでしょう。
私は後者のほうを提唱しているだけです。それはいくつかの自由に勝ると考えています。
あなたは私が共有しないようないくつかの主張を真だととらえておられる、そんな気がします。たとえば、
自由は最高善であり、機会均等や社会正義を含む他の諸々の善に勝るといった主張です。
あなたは、税金は悪である、われわれは喰うか喰われるかの世界に生きている、乞食は皆怠け者だ、とも思っておられるのかどうか。私はそうは思いません。
投稿者: Chirag Kasbekar
私は Abiola に同意しません。選好形成の文脈が異なれば矛盾した選好を有しうる、と言うスウィフトは正しいと思います。
特定の諸条件のための公的/政治的選択と、所与の特定の(異なる)諸条件のためのパーソナル/私的な選択とは別物です。
私の友人 Gus diZerega は、
The Economy of the Earth の中で Mark Sagoff がリポートしているインフォーマルな教室実践を好んで引用します。
彼なら生徒たちにこう質問するでしょう。カリフォルニアの the wild Mineral King valley に建設が提案されているスキー・リゾートに行きますか? 生徒たちは頷いて yes と答えるでしょう。そのとき、彼はさらに質問します。それが建設されるべきだと思いますか? ほとんどの生徒は上下にではなく左右に首を振ることでしょう。
ここにおいて生徒たちは必ずしも偽善的ではありません。
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投稿者: Abiola Lapite
「独立学校の存在が機会均等に反している」
では、自分の子どもたちができるだけベストな教育を得ること、そのことを確実するためにできることを親がおこなえば、それは「機会均等」に反するのでしょうか? そうした「平等」を確保するためにあなたはどんなことをなさろうというのでしょう? さっさと一度に徹底的にやってしましまい、われわれ全員がどこから見ても確実に平等であるようにするために Handicapper-General を設ける [田原注: SF作家カート・ヴォネガット・ジュニアの短編集『モンキーハウスへようこそ』に収録されている一編(タイトル失念)に出てくる公職を指している、たぶん。完全な平等が実現した未来アメリカ社会を皮肉たっぷりに描いている]、なぜそれをやらないのですか?
「あなたは、税金は悪である、われわれは喰うか喰われるかの世界に生きている、乞食は皆怠け者だ、とも思っておられるのかどうか。私はそうは思いません。」
私の口からそんな言葉を吐かせないで欲しい。あなたはご自分の暴君的な態度のためのきちんとした弁論をハッキリと書けないだけじゃないですか? だから、あなたの案山子を私の口に押し込めているんじゃないですか?
投稿者: jdsm
「では、自分の子どもたちができるだけベストな教育を得ること、そのことを確実するためにできることを親がおこなえば、それは「機会均等」に反するのでしょうか?」
そうです。これがあなたの直観に明らかに逆らうものだということが問題の核心となります。
我が子の人生を有利にするためにできることなら親は何でもするというのは別に非合理的でも驚くことでもありません。
同時に、私がたまたまマーチャントバンカーではなく講師であり、サラリーもそれ相応だからというだけで、我が子が不利であるべきだというのは、不公正であるように思われます。
あなたの人生におけるチャンスがあなたの両親の富によっては決定されないということには何かしら公正もしくは正当なところがある、という直観を多くの人が抱いています。
もしもこれが受け入れられるならば、学校教育・・・はすべての人々に利用可能であるべきだということも受け入れられなければなりません。
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投稿者: jdsm
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問題となっているのは不適切な資金調達 funding ではありません。
UKにおける生徒一人当たりの支出はフィンランドのそれと同じくらいなのに、フィンランドの子どもたちのほうがいつも決まって良い状態にあります。
天賦の才能に恵まれた生徒の多くをすくい取る creaming off ことが通常の学校に残される生徒たちに不利な影響を及ぼしているということ、これが論点なのです。国際比較はこのことを暴き出しているように思われます。
投稿者: Chirag Kasbekar
jdsm
ほんとはあなたと論争したくはないのですが、いくつかの点を明確にしておきたいと思います。
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スウィフトは次のように言っているように思われます。(不利な地区 disadvantaged areas に立地する)公費で賄われる学校は不適切であり、また、それらの学校は資金が不足しているからそうなっているのだから、アポットは非難されえない、と。私はこの見解への対応を考えていただけです。
また、スウィフトは「裕福な子どもたちとその親をすくい取る」というフレーズを用いています。あなたもこれと同じことを言い闘ったのですか? それとも、あなたがほんとうのところ言おうとしたのは、「天賦の才能に恵まれた」子どもたちのことなのですか? たしかに、相対的に貧しいコミュニティの中にもそのような子どもたちが大勢いることでしょう。
投稿者: Danny
アポットは個人的な事例の問題を同一視すべきではなかった。この件に関するアポットのブレア批判は今や完全に弁護できない者であるように思われる。
マルクス主義者であったかつての私の恩師が次のようなジョークを飛ばしたことがあった。
「社会主義社会は個人的な事例に基礎を置くことはできない」。もっと税率を引き上げたいと思っているが、法律によって求められる以上の税金は払わない金持ちの社会主義者は偽善者か? もしそうでないとするならば、我が子を私立学校に通わせる労働党の政治家もまた偽善者ではないということになる。
独立学校教育は、以下の点において、たしかに他人を害すると言わねばならない。
1. 生徒の平均水準は学校の水準に影響を及ぼす。利発な生徒と凡庸な教師を要する学校があったとしても、その学校は依然として良い学校であろう。生徒たちが金持ちだが利発ではないという議論は不正直な議論である。なぜなら、その生徒たちが、これまた相対的により良い教育を受けた両親からより良い機会を与えられているということは明白だからである。すくい取りはきわめてリアルである。
2. もしエリートが我が子を公立学校システムに通わせないとするならば、このことは当該システムへの彼らのインタレストを低下させる。これはたんなる仮説ではない。もしUKにおける学校支出が他の諸国におけるそれを下回っているなら、この特殊な議論は成り立たない。
3. 教育の価値は、たとえば健康の価値とはちがって、相対的である。
考慮すべき外部が存在する。良い働き口の数は限られており、大学の籍の数も限られている。
これらの数が変わらないと言っているわけではないが、しかし、教育システムの中では誰もが勝利者になれるわけではないということは明らかだ。強力な私立学校システムは金持ちに有利なようにレースをひどくねじ曲げる。
これが私立学校を廃止するという議論に行き着くのかどうか、それがわかるほど十分にUKのことを知っているわけではない。
たとえば、それは現実には達成されえない。我が子を留学させる親もいることだろう。また、放課後のプログラムに通わせる親もいるだろう。結局のところ、我が子のためにできる最善を尽くしたい親の願望を阻止することはできないし、阻止すべきでもない。
投稿者: wcw
ちょっとそこの方。Mineral King にいらっしゃったことあります? スキーのストックを手にしたつもりになれば、そこは素晴らしいスロープでした(夏にしか訪れたことがないんです)。
そうは言っても、谷を開発すれば、それは犯罪、醜い、醜い犯罪となるでしょう。
犯罪がすでに投下されてしまったコストであれば生徒たちはスキーをやるけれども、その犯罪を犯すことには反対するだろう、というのはとてもよく理解できます。
投稿者: jdsm
Chirag
私は不利な地区にかんして語っていたのではありません。
ブリテンにおいて公共的に資金提供されている学校の大部分が、インナー・シティに立地するしないにかかわらず、不適切であるということについては一般的に合意されています。
「天賦の才能に恵まれた子どもたち」/「裕福な子どもたち」という区別は不完全です。というのも、多くの独立学校は利発な子どもたちに奨学金を出していますから。それらの学校はまたほとんどすべて入学試験を実施しています。その意味するとところは相対的に利発な子どもたちがそこに行くということです。
一般的に言えば、スウィフトが目指していると私が解するものは私のそれと同じではありません。
彼は次のように論じているのかもしれません。すなわち、上流および中の上の階層の子どもたちに公共的に資金提供される学校を与えないでおく、そうすることによってそれが逆に公共的資金で賄われるインナー・シティの学校を埋め合わせる。もちろん、その理由は知的能力それ自体にあるのではなく、これらの家庭は労働者階層よりも多くの有利さを享受していると予想されるから、というわけです。
その学校の社会学全体が影響を受けることになります。こうして、いっそう高い欠席率等々の学校が帰着し、生徒たちの中から最良の生徒たちを得るということと環境とはそのつながりが断たれるということになります。
投稿者: Jack
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ダイアン・アポットが息子をハックニー・スクールに通わせていないのは恥ずべきことだと思う。・・・・・
他方、私なら禁止したいと思うような行動が私を引きつけるケースも多々ある。たとえば、
生存しているドナーから臓器を取り引きで得ることには反対だが、もし私に近しい誰かが、たとえば貧しいインディアンから腎臓を買わなければ生き延びられないだろうとするならば・・・・・
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投稿者: Chris Betram
まず最初に完全開示。ダイアン・アポットと同様、私も、自分の息子を国家学校システムから引き離し授業料を払うに至った左派の一人である。(・・・・・)。
次に私はこう思う。理想的なシステムはどうあるべきかについてのある人の見解が、既存のシステム内におけるその人の選択を(道徳的に)決定するととらえるべきではない、と述べるスウィフトは正しいと思う。アポットは普遍的な総合制システムを支持するかもしれない。しかし、そのようなシステムが現存しない場合に、彼女は今為すべきことを決める必要はない。
けれども彼女は自分の決断を「弁護の余地なし」と言った。そのとき、私は、彼女の言っていることは、ほとんどの人々が彼女が言ったと受けとっていることから、何だかちょっとズレているかなと思う。なぜアポットはオプト・アウトすることを決断したのかについては、彼女の息子のパーソナリティや経験にかかわるしかるべき理由が多分あるだろう。それが何かは私は知らないし、詮索するつもりもない(しかし、人々が国家セクターからオプト・アウトする理由には、有利さを買うということとは無関係の理由もたくさんある)。厄介なのは、そのような選択をおこなう親がジレンマ bind にとらわれるということである。
私はこの問題にかんしてコメントするか、それともしないか? (ダイアン・アポットはコメントすることを避けることはできない公人である)。もし私がコメントし、自分の立場を開示すれば、私の言うべきことは、特殊な嘆願として斥けられる。
私は自分の理由を明かすか? もしそうしないならば、私は自分自身を有効に弁護することはできない。もしそうすれば、自分の子どもたちのプライバシーを危うくする。
そして、私がどんなことを言おうとも、それは、すでに心を決めている(あれこれの筋道で、私にかんするものであれこの問題にかんするものであれ)人々によって、それは合理化である、特殊な嘆願である、自己欺瞞である等々として却下されるのが落ちだ。
そこで、ダイアン・アポットのような親は (a) 言いうることの範囲がきわめて限定されており、(b) 彼女が何を言おうとどのみちそれは多くの人々には聞き入れられないであろう。
彼女の立場を「弁護の余地なし」にしているのはこれであって、この問題のメリットではないのである。
投稿者: Harry
子どもたちのプライバシーを危うくするということにかんして Chris が述べていることについてコメントを短く。
それはむしろ諸々の個別的な理由に依存してはいないでしょうか? 私は、子どもを私立学校に通わせている US の左派を何人か知っていますが(私がここで言っている「左派」とは、Chris も ダイアン・アポットも優柔不断なリベラルだなあ、とみなしそうな人々のことです)、彼女/彼らは決まり悪いなどとは露ほども思わずにそうしています。なぜなら、彼女/彼は都市部に住んでおり、そこの公立(国家)学校はまさにどんな子どもにとっても不適切だとみなしているからです。もしも金があったなら、彼女/彼らはすべての子どもを引き上げることでしょう(もっとも、彼女/彼らは概して低所得層の子ども向けのものであれバウチャー・スキームには反対しています)。
もしそれがあなたの理由であるとするなら、それは特定の子どもに特殊な理由ではないというに十分です。その理由を明かしてもその子どものプライバシーを危うくすることはありません。そうでしょう。また、もしもそれがアポットの理由であるとするなら、なぜ彼女はそれを騒ぎ立ててはいけないのでしょうか?
そうは言っても、ある人が自分の行為や理由にして語るや否や、公共的論争の水を濁らせてしまうので、まともには取りあげられにくくなってしまいます。
でも、ちょっと言わせてもらえば、これらのことにかんしてコメントするのに気まずさを全然覚えない大勢の中流階層の人々は、住宅購入を決断するさいに、地域の学校の質の検討に余念がありません。これは(私見では)、私立に行くということと過不足なく同じ程度に問題をはらんでいます。(スウィフトは、それは相対的に問題が少ないと考えていますが、そんなことはありません)。ちがいは、これらの計算が公衆の目に見えないだけです。
(開示。私の状況はいささか奇妙です。私の家は、公立にしろ私立にしろ「最良」な地域ハイ・スクールと評判の学校の区域にあります。近隣住民の多くは中流階層の穏健左派で、その学校に子どもを入れるためにここに家を買いましたが、私立学校や低所得層の子どもたち向けのバウチャーには猛烈に反対しています。しかしながら、私は学校の質に関する人々の判断を信じていませんし、とりわけその学校に私の子どもたちを行かせたものか神経質になっています。もしも、その時が来て(そう長くは待たない)われわれがまだここにいるとしたら、私は頑張って、もっと社会経済的に混合された学校を子どもたちのために見つけてみようと思っています。もちろん、子どもたち自身のニーズを私がどう判断するかに左右されますが)。
投稿者: Andrew
念のためですが、ブレアの子どもたちは国家学校に通っていないんですか? どこかで読んだんですが、たしか、これは使用人としての首相にとって初の快挙だとか。ハーマンについても同じことが言えると思います。
この二人について問題は、それらの学校が選り抜きの(国家)学校であり、両親は学校のそばに住んでいないということです。
アポットがやっていることはオーダーがちがいます。
投稿者: Mark Mulholland
「より好ましいと思う学校に我が子を通わせるために額に汗して稼いだ金を使おうと選択するとき、それがどうして他の誰かの「チャンスをハイジャックする」ということになるのか?」
相続その他の形式の不労の富を子どもをエリート学校に通わせるために使ってはならない、と Abiola Lapite が信じているということを見てうれしい。しかしながら、これはかえって市場を切り倒すであろう。
投稿者: Chirag Kasbekar
学校選択を親に認めないということから導かれる潜在的な利点についてはわかります。貧乏人の子どもと金持ちの子どもの混ぜ合わせは、長期的に見ればそうした利点のもっとも大きなものであるかもしれません。
しかし、独立学校を廃止するという考えには個人的にとても不快です。
反リベラリズムにかんする関心は措くとしても、私が生まれたインドではそれがともかくも有効であるということがちょっとわかりません。インドの教育のピンナップであるケララ州においてさえ、どう見ても私立の学校が全体の60%かそこらにのぼっています。
私は、これらのケースにおいて、すべてのフィードバックをボイスに託す ― エグジットを締め出す ― ことの見識にもかなり懐疑的です。個人的と社会的の両方のレベルにおいて。
Chris、私立学校が廃止されてしまったとしても、なおあなたは、あなたを国家的システムから撤退させた関心に適切に取り組むことができると考えているのですか?
投稿者: dave heasman
ブレアが自分の子どもを国家的システムのなかで教育させている最初の首相だとは思いません。かなりたしかですが、ウィルソンの二人の息子が国家(あるいはカウンティの)グラマー・スクールに通っていました。ウィルソンは私立学校にやるだけの金を持っていなかったんですかね? おそらく、マーガレット・キャラハンも同様の理由で国家学校に通っていたはずです。
私はアダム・スウィフトの議論はちょっとおかしいと思いました。私の読んだところでは、彼は、がらくたの国家学校から子どもを移転させるのはかまわないが、その子どもを勉学的にすぐれた学校に通わせるのは OK ではないと考えています。したがって、子どもを月並みな学校に通わせれば OK ということになるのでしょう。そうすることには関心がわかないでしょう。
投稿者: dave heasman
おっと、使用人としての首相 serving PM のために国家学校に在籍した子どもでしたね。えーと、学齢期の子どもをもっていた一番最近の使用人としての首相はアスキス、じゃなかったっけ?
投稿者: Chris Betram
そのほかにとてもたくさんのことも起こらなければ、というわけではありません。
もちろん、私は、国家によって提供される万能サイズ one-size-fits-all のモデルに皆を無理矢理押し込めたいなどとは思っていません。われわれの願望が向かうべきは、親の支払い能力にかかわりなくすべての子どもが各人のニーズにふさわしい教育を得るようなシステムです。
そのことは、多種多様な教育供給者が存在するということとも、また、我が子をどこに通わせるかにかんして両親が大きな選択権を持つということとも齟齬を来たしません。
現在のところ、喜んで (a) 支払うか、喜んで (b) 引っ越すか、あるいは (c) 宗教的献身をでっちあげたか、喜んででっちあげるか(実際たくさんの事例が進行中ですが)、これらのことを除けば、親はほとんど選択権を持っていません(レトリックにもかかわらず逆に)。
投稿者: jack
独立学校と同じスタンダードを達成する国家学校を提供することは完全に可能です。
他の国々では、また他の時代には実際そうしているのに、どうしてそうなっていないのかにんかんする十分な議論がなされていません。
選抜や親の態度や教員俸給はすべてこの問題の一部を構成していますし、UKにおける国家学校の現状は、少なくとも、私立学校の存在がそうであるのと同じ程度には、多くの問題にたいして責任を負っています。
税金の払い戻しがない限り、私立学校に通わせれば、教育に丸ごと余分な金を費やすことになります。
むしろ問われるべきは、なぜ国家学校はこんなにうまくいっていないのかということなのです。
ミズ・アポットが偽善者かどうか私には定かでありませんが、彼女の選挙人は、いずれにしても、教育政策にかんする彼女の見解と地域の発展への彼女の影響力に関心を寄せるべきでしょう。結局のところ、アポットの子どもにとってあまり良くない学校に自分の子どもを通わせるのは彼女/彼らなのですから。
投稿者: harry
Jack
国家学校をダメにしている要因としてあなたが引いているものの多くは、私立学校の存在に(部分的とはいえ)帰すことができます。
仮に、裕福な人々がオプトアウトできないとしたならば、彼女/彼らは、教員のサラリーを上げるためにもっとたくさん税金をとることを受け入れるでしょうし、そのためのロビー活動すらおこなうでしょう。そうなれば、私立学校が、学問的才能豊かな教員を国家学校から引き抜き枯渇させるようなこともなくなるでしょう。また、親も学習をもっと励ますような態度をとるようになることでしょう。などなど。
国家学校は、たとえ現状のままでも、もっとうまくやれるのではないかということには同意します。
ただし、資金提供が増加しなければ、また資金提供の仕組みが変わらなければ、無理でしょう。
それに、Chrisが強調したように、ある国家学校を我が子にとって不適切だとみなすにはたくさんの理由があります。
一つには、それはどんな子どもにとっても不適切だということがあります。そして、もしそれがアポットの見解なら、彼女はそのように言うべきです。なぜ彼女の選挙人たちがそのことで彼女を非難すべきなのか、私にはわかりません。
あるいは、彼女は(スウィフトが仮説しているように)、国家学校がとりわけ黒人の少年たちをどう扱うかにかんして心配したのかもしれません。あるいはまた、彼女は息子がとくにいじめられやすいことに悩んだのかもしれません。あるいは、別の親だったら、兄弟姉妹を別々の学校に通わせたいだけかもしれません。これは、勉強があまりよくできないと思われる子を私立に通わせるごくありふれた理由です。よくできる子(こちらのほうは国家学校に通い続ける)と競争させたくないというわけです。
また、多くの親たちは我が子をある特定の友人もしくは友人たちと隔てておきたいと思っています。
これもまた、あちらではこちらの学校を選ぶ、あるいはクラスを変えてほしいと働きかける、良くある理由です。
いずれにせよ、アポットの置かれた状況について詳細を知らないので、われわれも彼女の選挙人たちも冷笑するだけの理由を持ち合わせていません。また彼女が息子のプライバシーを侵害することを拒絶することは当然です。
もっとも、彼女がプレアとハーマンに私的に謝罪したということを期待する人がいるというのは言うまでもありません。
Dave
スウィフトの立場にかんして、またその注文の多さ demandingness にかんしてあなたの言ってることはそのとおりです。
私自身それが正しい立場だと考えます I think its the right position myself. しかし、
私は、おそらく彼女はまさしく彼が提案していることをおこなったのではないかとも思っています。なぜなら
(子どもをその学校に通わせたことがある親から聞いた話からそう思うのですが)、
何か大きな変化でも起こらないかぎり、その学校はとても金のかかる merely adequate な学校にすぎないのではないかと思っているからです。
もちろん、もし私に息子がいるとして、私立に通わせることに良心の呵責など全然感じることもなく、金もあり、ロンドンに住んでいるとしたならば、その学校は私のリストのきわめて低いところに位置することになるでしょう。
投稿者: Chirag Kasbekar
Chris
どうすればそのようなシステム設けることができるか何かいいアイディアをお持ちですか? もうひとつ、「あなたの子どものニーズにふさわしい」何かを欲するとするならば、それはあなたの子どものために最善のものを欲するということに危険なほど接近してしまいませんか? スウィフトが言っていることが同意できることではないというのはどちらですか?
Harry
あなたがおっしゃっていることにかんしていささか困惑しています。
親が学校選択を、条件があれば欲してもよい might want とする数多くの理由があるとおっしゃっているようにみえますが。
しかし彼女/彼らはそうした選択権を与えられるはずありません。
国家システム学校にくっついて離れないようにせざるをえないでしょう。
たぶん私はあなたの趣旨を取り違えてしまっているのでしょうね。
投稿者: marek
City of London 学校をそれほどまではねつける Harry が正しいのか、私には確信がもてません。
そこの3年生に在籍しているこのうえもなく利発な14歳の子を知っています。その子は、
利発であるということは社会的絶滅への早道ではないという環境(CoLが完全だというわけではありませんが)を大いに楽しんでいますし、いかにも印象深そうな教師たちによって力を十分に発揮させられており、豊かな音楽的生活に浸っています。
CoLの学校としての質にしろそうでない別のものにしろ、議論にとってはある意味無関係ですが、アポットがある種フライパンから火の中に飛び込む決断をしたとでも言いたげなほのめかしは間違っているように思われます。
そして、お役に立つかどうかわかりませんが、私は次のように考えます。
アポットが自らを弁護の余地なしという立場に追い込んでしまったのは、彼女が今やってしまったことのせいではなく(私自身が同じような決断に迫られたことがありますから、そのことには大いに同情を覚えます)、彼女より前にそうしたことに直面したブレアやハーマンその他の人々にたいする彼女の声高で独善的な批判のせいなのです。
投稿者: harry
Chirag
手短に言うとこういうことです。基本的には私立を廃止することに何ら不適切なところはありませんし、そしてまた基本的には、
私立を廃止するしないにかかわらず、国家システムの中に厳格で平等主義的な選択システムが存在すべきです。
厳格なというのは、誰もが選好を表明する必要があるということです。また、平等主義的というのは、
まさしく自分の欲するものを誰もが手に入れるということが不可能であるのは明らかですから、社会階層とあなたが欲するものとが相関しないということです。
(これを達成する見てすぐそれとわかるやり方は、入学者選抜に抽選を用いるよう学校に強制することです。)
そうです、私は学校選択の支持者です。
私立がシステムの中で何らかの役割を演じるかどうかは文脈に依存します。
UKの私立とUSの私立を比べると、後者に対する私の反感のほうがはるかに小さいです。
私立が演じる役割が(一般に)まるっきりちがっていますから。
以上についてのロングバージョンは私の本
School Choice and Justice をご覧ください(宣伝ごめんなさい)。
Marek
そのとおりですね。彼女がフライパンから火の中に飛び込んだなどと受けとられたとしたら、私にはそんなつもりはありませんでした。また、言うまでもありませんが、ある子どもたちにうまく合う学校が他の子どもたちには全然合わないということはレレヴァントな事実の一つです(子どもたちを学校に割り当てるにさいして親の選択が一定の役割を果たすべきだという理由の一つでもあります)。しかし、質の指標として排他性や高価性を用いることに対しては警告しておきたいと思います(また、質はスウィフトの関心事ではありません)。
投稿者: Chirag Kasbekar
Harry
ありがとう。おかげでだいぶはっきりしました。
あなたの提案(抽選+支払いなし)は考慮に値します。ただし、納得したとは言えません。
もしも今この時、大学の図書館を利用できるなら、まちがいなくあなたの本を借り出すのですが。でもできないんです :-(
それでもやっぱりそのようなシステムにおいても社会的不正義の潜在的可能性がたくさんあるように私には思われます。
階層に起源をもつような不正義の可能性だけはなくなるでしょうが。
自分で考えてみます。
投稿者: Chirag Kasbekar
Harry
それともうひとつ。USとUKとで私立学校が演じている役割のちがいについてどう考えていらっしゃるのか、興味があります。
投稿者: Abiola Lapite
「手短に言うとこういうことです。基本的には私立を廃止することに何ら不適切なところはありません」
いったいなぜ「基本的に」このことに何ら不適切なところはないのですか? 一方の当事者Aが我が子の教育のために他方の当事者Bに支払うことを選択するとして、いったい何が誰かに二人の当事者が合意に達するのを妨げる権利を与えるのですか?
あなたのこの考えは極端に反リベラルなものです。
私は左翼の一人として次のように言わざるをえません。
あなたはおそらく、胎児が生育可能な時点を過ぎても女性はその胎児を好きなように処理する権利を有すると確信しておられるでしょうが、しかし子どもが生まれてしまうや、彼女が選択するように子どもを教育する権利を彼女から剥奪なさる? そのとき知的な一貫性はどこにあるのですか? また、もし自らの選好に合致する機関で自分の子どもを教育する自由を親から奪うほどにあなたが「平等」を高く評価なさるのなら、なぜ徹底的にやり抜いて、遺伝抽選によってすぐれた知的能力をもち「不公正に」特権を与えられている者たちにハンディキャップを課すというようなことをなさらないのですか? なぜ、ハンディキャッパー・ジェネラルを設置して、それで手を打たないのですか?
私が引き出すことのできる唯一の結論は、あなた、ならびにあなたのスタンスを支持する人々は自由の敵である、ということです。
あなたが「平等」と呼ぶ盲目的崇拝の対象の名のもとに、あなたは、ご自分の仲間以外の人々から彼女/彼らの人生におけるあらゆる選択権を喜んで奪おうとなさっている。
すべての人々が完全に平等であるような場所はこの世にたったひとつしかない ― 墓場です ― ということを認めることを拒んでおられる。
共産主義によって実施された数々の人間悲劇から何も学ばなかったんですか? それとも、好きなように自分の生を生きたいというあなたのお仲間の強い願望は、国家がそうした願望を挫折させるのは正当だと確信するあなたのお考えにおいてはほとんど重要視されないのでしょうか?
投稿者: Gregg
「スウィフトの記事を読んだが、明らかに彼女は偽善者だ。ブレアが彼女と同じことをしたとき、彼女はプレアに向かって間違ってると言ったじゃないか。」
アポットは間違ったことをしてしまいましたが、上の引用は彼女を偽善者にしないということに注意すべきです。
彼女は、党の政策を破るものだと言ってハーマンやブレアを批判しました。
これは1997年のことで、当時労働党はまだ総合性学校に傾倒していました。
今では労働党は専門分化、選抜、私事化(より授業料支払制の学校を促進するともに私立学校を国家学校に併走させるものです)に傾倒しています。ですから、アポットは労働党の方針に従っているにすぎませんし、それゆえ、それをおこなうとしたために彼女がブレアとハーマンを批判したことをおこなっているわけではありません。
たしかに、彼女の隠れブレア主義は歓迎されるべきです。というのも、
依然として左翼であるという労働党にかんするなかなか消えない神話 ― その左翼の人々でさえトーリーの傾向をもっているのに ― を一掃してくれるからです。
話題になっている若者の名付け親がジョナサン・エイトキン [田原注: 事業で成功 → 保守党代議士 → 閣僚 → 汚職 → 刑務所] だって知ってました?
投稿者: harry
Gregg
最後のところのすっぱ抜きにはびっくりです。どこからその情報を仕入れたんですか?
Chirag
私の妻は、本を買って来ては、本の背を折らないようにして一通り目を通すと、読んだ本を戻しに行って返金してもらうという言語道断の習慣の持ち主です。あなたにそうするようすすめているわけじゃありませんよ、とくに私の本については、でも...
USとUKの私立にかんして。思うに、UKでは、私立は教育上の不平等に大きく貢献しています。しかも不平等のたんなる一症状にすぎないというものではありません(もっとも不公正に不平等な社会の一症状でもありますが)。ここには二つの驚くべき対照が見られます。
1. UKの私立の平均コストは国家学校における生徒一人当たりの平均支出のおよそ2倍です(後者の数字には地方教育当局および教育科学省の官僚制のコストも含まれる)。USの私立学校の平均コストはUSの国家学校における生徒一人当たりの平均支出の半分です。
2. UKの国家学校において低所得層の子どもたちがもっとも集中する学校の生徒一人当たりの支出はそうした子どもたちがもっとも集中していない学校のそれのおよそ2倍です。
USのほとんどの州では、もっとも高所得層の子どもたちの学区における生徒一人当たり支出は、もっとも低所得層の子どもたちの学区におけるそれの2〜4倍です(カリフォルニア州やバーモント州など例外はあります。しかし、私が住んでいるウィスコンシン州でさえ、そこは平等主義的な中西部の州の一つですが、貧困な子どもたちに費やす2倍の資金を裕福な子どもたちに費やしています)。
(USの)多くの学区においては、もしあなたが住んでいる町の社会経済的ミックスを概ね反映するような混合比をもつ学校にあなたの子どもを通わせたいならば、その目標達成に近づくことのできる唯一の方法は低コストの私立学校、典型的には宗教的な私立学校のほうを選ぶことです。
教訓。USにおける裕福な郊外の国家学校は、UKにおいて私立セクターのほとんどが遂行している機能をだいたいのところ遂行している。すなわち、熱心で裕福な中流階層の子どもたちに有利さを授け、その子どもたちを残りの子どもたちから分け隔てる。[いずれの国でも、真のエリートはおそらく、私立セクターの中でももっとも高価な学校を利用する(UKではイートン、ウィンチェスター等々、USではチョート、聖アルバヌス等々)。オリバー・レトウィンやアル・ゴアやジェシー・ジャクソンが自分の子どものために選ぶのはこの種の学校である。他方で、後の二人は、貧困な子どもたちが低支出の都心部学校以外の選択肢をもつことを阻止すべく全力を尽くしている]。
教訓。USにおいては、教育上の正義を獲得するためにいかなる努力をするにせよ、公立(国家)学校をその中心ターゲートに据えなければならない。UKにおいては、私立セクターがリーズナブルなターゲットである。
Abiola
あなたの口調から、実のところリプライを欲していらっしゃらないようにお察しします。
そうしようと思えばリプライすることもできますが、そうなると、はるか政治哲学のなかへと踏み込んでしまうでしょう。今はそこまでは踏み込みたい気がしていません。
とはいえ、踏み込んだとしても、私立学校教育が正当か否かをめぐる何かを基礎に、堕胎にかんするあなたの見解にかんする仮定を立てるようなことはしないでしょう。私は、あなたが私の見解にかんしてこのようにかたく信じておられるということに驚いています。
投稿者: Abiola Lapite
「あなたの口調から、実のところリプライを欲していらっしゃらないようにお察しします」
それは誤解です。
私としては、あなたがとっている立場をどうしたら正当化することができるのかを知りたいのです。
どうかご教示ください。
言うまでもありませんが、あなたがそれを正当化することができるとは私は思っておりません。
あなたが私に投げてよこされる返答がどうなものであろうと、対処できるだけの頭はもっていると思います。
投稿者: James R MacLean
他人が実際には表明していない見解をその人に帰してしまうという衝動を抑えるよう強くおすすめします。
私も時々やってしまいますが(「あなたはこう考えているかもしれない」とか「おそらくあなたはこう考えているのだろう」とか)、そのときにはいつもそれをユーモアに限るよう試みています。
私は多くの論点においてMr. Lapitaに反対ですが、それでも、彼の一連の意見と推論には興味があります。
彼がどんなことを言わなければならなくなるのかを読むのを楽しんでいます。
私と意見がまったく合わなかった多くの人たちが私の意見に影響を与えています。
おやおや、私の経済学の恩師たちのほとんどがその人たちのカテゴリーに入ってしまう! でも、だからといって、彼女/彼らから多くのことを学ぶのを押しとどめることはなかった。
投稿者: harry
James
あなたのウェブサイトに行ってみました。私と同名の者の偉大な作品をそのように名指しで非難されていないということを発見してとても残念です。やれやれ。
Abiola
了解。お返事しましょう。でも今すぐにではありません。2〜3週間以内に自由にかんしてポストするというのはいかがでしょう?(それは大きな論点ですし、私にも仕事と二人の幼い子どもがいますし、それにその問題を雑に扱いたくありませんから)。
投稿者: David T
私はCLSに通っていました(奨学金で)。また私はダイアン・アポットの選挙人です。それに労働党員でもあります。
アポットはかなりいい加減な下院議員ですが、自分の息子をかつての私の学校に通わせるという彼女の決断を私は支持します。
思い起こしてみるとこの学校はたしかにとてもいい学校でした。
私はダイアンに同情します。少なくとも、何人かの無礼な噂好きのおしゃべりによってダイアンの息子の名付け親だと言われている男の娘のように [田原注: 父親のために偽証した] 大法螺吹きになるつもりはないようです。でも、もちろん、私は名誉毀損で訴えたいとは思いません。よってこれ以上は何も申しません。
---- この討論は締め切りました。投稿してくださったみなさんありがとう ----
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紹介ここまで。オリジナルは
http://www.crookedtimber.org/archives/000766.html
にあります。また、最後のほうで Harry が予告している討論 <Private Schools, Equality, and Liberty> はこの1週間後にポストされ始まっています。
http://www.crookedtimber.org/archives/000826.html
疲れたので一言だけ。アポット問題にたいして、Harry のような整理の仕方(問題を構造的に一般化する?)もありうるとは思いますが、個人的には、そうすることによって得られる可能性のある知見よりも、むしろ失われてしまうさまざまな論点のほうに関心があります。上の討論では勘違いしちゃった悲劇の早とちりヒロインになっしまった感のあるミズ・アポットですが、彼女自身に焦点を当てた分析もまた欠かせないんじゃないでしょうか。
それにしても、ネット上でこんなことができてしまう。彼我のちがいはどこにあるんでしょうね。ネット文化云々以前、政治文化の問題ですか。次の日曜は参院選投票日。