.

...back to the entrance

● 自由主義/民主主義/教育(学)/勝田守一 2004-07-20
わが国には教育学という学がある、ということになっている。なるほど、日本教育学会という学会の会則には「本会の目的は、学問研究の自由を尊重し、教育学の発達普及につとめ、会員相互の研究上の交流を図るにある」とある。ちなみに、同学会の英語名称は The Japan Society for the Study of Education 。study of education とはずいぶん大様な言い方である。この大様さは最近の同学会の自己認識「総合学会」にはマッチする。いずれにせよ、教育学が学として成立しているのかどうかは今もって定かではない。

かつて、教育学の学としての独立を強く求めた研究者がいた。勝田守一である。森田尚人は勝田のこの独立指向を跡付け、その中心概念である「教育的価値」について次のような診断を下している。
勝田の理論構成のなかで教育的価値は教育学研究の探究すべき目標であるというより、経験的な論証を超えた超越的概念として、教育学の普遍的合理性を成立せしめる認識論的基準とされている。(「教育の概念と教育学」『教育学年報』1, p.8)
教育学が学としての独自性に固執しようとすればどうしてもそうなる。橋爪大三郎が述べているように、
そもそも正しさの規準がどのように与えられるかと考え、それをさかのぼってみると、循環してしまうか、さもなければ、有限な手続きの後にそれ以上さかのぼれない、正しさの最終的な根拠に帰着してしまうかであることに気がつくであろう。この正しさの最終的な根拠(規準)のことを、権威 (authority) という。・・・何が正しいかをめぐる正当化の手続きを厳密に遂行する知のシステム、たとえば宗教、哲学、法律学、科学、イデオロギーといった領域では、おのずからその正しさの原点としての権威が析出する。(『事典 哲学の木』の「正統性」の項)
だから、もし「民主教育」が教育(学)的に「正しい」とすれば、それはこの「権威」に照らして論証可能であるから、少なくともそう信じられているからである。「教育的価値」としての「民主教育」。
しかし、これから書くのは、「教育的価値」生成の源泉として、学としての独立性指向とは別の要因も存在していたのではないかという勝手な観測である。

論文「国民教育の課題」(1955)のなかで、勝田は「自由主義的原則を実質的な国民教育のとりでとする」(554)よう呼びかけている。自由主義の第一原理は「教育の価値や内容に対[する]禁欲的な自己抑制の態度をとる」(542)ことを国家に要請する。そのような原則にもとづく「国民教育が分裂と対立とを経験する」(554) のは必然である。こうした「分裂と対立」は、「この原則を採用させた市民社会そのものの中に生み出された」ものであった。それらは、第三階級VS第四階級、保守VS進歩、「個人的要求の差異」を反映したものとみなされている。勝田は自由主義者としてこの事実を受け入れる。それにたいして、「国家による国民教育の統制」は「自由主義的原則を無力なものにしようとする」がゆえに批判される。そしてそのような「反動的」と称される動きの底に勝田は「ニヒリズム」を、それと協同する要因として「政治的無関心や機会主義」を見いだす。この「ニヒリズム」に対抗するために、「教育における保守的と進歩的との対立は・・・少なくとも共通の課題を見出すことが必要だ」ということが主張される。こうして「ニヒリズム」に対置されるのが「ヒューマニズム」である。端的には「人間的価値を国民教育の内容とする」ことである。

素朴な疑問。「自由主義原則を国民教育のとりで」にするのだったら、それを対置すればいいのでは? どうもそれでは済まないらしい。勝田は言う。「私たちの国民教育が、自由主義的な原則を守り抜くという課題は、自由主義的な原則そのもののためというよりも、私たちの民族 [勝田にあっては「国民」] がおかれている歴史的な状況に照応している」。そこから導き出される「教育の自由主義的な原則を守ることの実質」は「民族に対する教育の責任を考えるということ」である。この論文の収められた著作集の解説を執筆している大田堯によれば、これは「近代が生み出した「教育の自由主義的原則」の発展的な理解」とのこと。
しかし、同じ年に発表された別の論文「国民教育について」を読むと、上に述べた自由主義にたいする勝田のスタンスは、その「発展的な理解」というよりもその「限界の認識」に促されたものなのではなかったかという推測も成り立つ。

勝田は、「教育の自由主義は、それ自身の中に困難な問題をもっている」と述べ、先の自由主義の第一原理についての記述のトーンもも抑えめである。
けれども、こうした自由は、じつは、形式的なことである。形式的だから、だいじではないということはない。この形式が、ほんとうに守られるためには、その実質がそれを守るだけの力をそなえていることが必要になる。/ところが実質ということになると、ひとりひとりの親たちやひとりひとりの子どもがもっている希望や願いは千差万別である。また教師がなにを真実と信ずるかも千差万別であり得るわけである。だから、教育の自由主義は、実質的には教育の無政府主義にならぬともかぎらない。また、親たちの願いと教師の考えとは必ずしも一致しない。千差万別の親たちの願いと、これまた千差万別でもあり得る教育[「教師」の誤植か]の考えとがそのままで一致するのを願うのは奇跡に近い。(pp.240--241)
教育がリベラリズムのアキレス腱と呼ばれる所以である。
だから、現実には自由主義であろうとなかろうと、公教育はある共通性に貫かれた国民教育として成立して来たのである。それは、現実のいろいろな条件から、必然的にそうならないわけにはいかない。
ところが当時の国民教育はその「内容それ自身」がはっきり「分裂」していた。すなわち、国民教育の「実質」は多様な価値の無政府的な分立ではなく、二極対立であった。そのことを勝田は旭丘中学校調査の「教訓」として受けとる。
この二つの対立に目をおおうことは、教育を現実的に考えているものにはできないことである。だから、教育の実質について、教育の自由を守るということは、このような対立の中で、自由の意味を考えることに連っている。このことを無視して、形式的に教育の自由といっても無意味である。対立の一方が権力に結びつき、支配的な力をもっていること、これに対して、守るべきものを守るという自由である。(p.243)
「抵抗する自由」(対立項の非権力サイドに立つ)からさらに「積極的な方向」(「すべての子どもの幸福をめざす」)へと議論は進む。
この [国民教育の実質を形づくっている = 引用者] 対立は階級的なものと関係しているが、国民教育が、階級教育に止まってしまうなら正しくないのではないか。階級対立が経済的の基礎から、政治権力の対立として現われているのはいうまでもない。教育の領域にも、この対立はそのまま反映する。しかし、教育が、国民の教育として、国民の形成にしたがうものだとすれば、階級の問題をうちに含みながら、もっと広い基盤を国民的な統一にもとめなければならないという意味で、国民教育の方向づけが求められる。「すべての」子どもたちの幸福というようなことばが、単に形容的なものでないなら、「すべて」ということの実質が発見されなければならない。(p.256)
「権力のニヒリズム」はすべての国民を実質的な危険にさらす。したがって、
そういう権力のニヒリズムに対して、はじめて、すべての子どもの幸福をめざすという、教育の統一的な方向が見出されるのではなかろうか。/国民教育の要求は、ヒューマニズムの支えとして、生まれて来るものである。親たちの願いや、苦しみからの解放の希望に教育が根ざしているヒューマニズムである。だから、そういう教育は国民的であり、国民の自立とその繁栄とを目ざすはずである。(p.257)
以上の議論には権力は不当だという認識がたしかにある。しかし、権力のニヒリズムにヒューマニズムを対置するという批判は、タイプとしてはイデオロギー批判にとどまる。政治的批判でも教育学的批判でもない。勝田の学問スタイルから推して、彼がこのことに不満を感じていたと見ることもあながち的はずれとは言えまい。というのも、自らのイデオロギーの正しさを「証明」するために、何らかの「権威」に依拠することを彼は嫌がるだろうから。また、だからといって、「原水爆使用をともなう戦争さえも肯定するニヒリズム」の「危険が私たち国民すべてに共通している」という蓋然的な経験の反射として、いわば他力本願でというかコンティンジェントなかたちで自説を擁護することには甘んじておられなかっただろうから。3年後に「教育的価値」を定式化した論文「教育の概念と教育学」には次のような記述が見られる。
われわれは、反動的な政治が、そのイデオロギーにおいて、人間的価値を否定することだけではなく、それが教育的価値そのものと矛盾し、教育そのものの否定を招かないではおかないという事実によって、教育の名において、これを告発する。この告発の権利は、蓄積された教育的価値から由来する。(p.441)
リベラリズムと教育が相性が悪いということ、そのことについての勝田の記述についてはすでに見た。端的に言えば、「自由主義の原則は、公教育という現実の場では、さきにもみたように、分裂のままでは、教育活動を成立させない」(256)。そこで自由主義原理に制約が課される。この制約もまた教育的価値の名において正当化されうるであろう。

デモクラシーと教育も実は相性が悪い。しかし、勝田には権力の正統化装置としての民主主義それ自体にたいする本格的な言及はない。もちろん彼が民主主義に言及していないわけではない。むしろ大いに論じている。だが彼は民主主義の困難を別のところに見ていた。国民意識の問題である。彼は当時のわが国の状況を第一次大戦後のドイツと重ね合わせる。
これは、ヴェルサイユ条約以降のドイツ共和国における精神的風土とひじょうによく似かよっているように見える。ドイツの民主主義は、西欧(アングロサクソンやラテン諸国)のものという形で学ぶという態度が強烈であった。民主主義がたとい信奉者によってよいものとされても、それが外来のものと認められるかぎり、国民意識は、それを支える情熱に欠けるであろう。・・・ドイツの国民意識が、かえって民主主義の否定に自己を見出したのは、私たちにとってはかけがえのない教訓である。(p.235)
ここかから、「単に形式的な政治的原則ではなく、倫理と文化と教育との領域においてその内容を創造」することが「われわれにとって」の課題となる(p.267)。そのうえで「民主主義教育」の方向性として三点が明示される。第一に、ナショナリズム(「国民のひとりひとりの自由と安全への要求を内実として含む」)。第二に、世界平和主義(「日本国民のナショナリズムに普遍的正義を内在化させる道を開く」)。第三に、「近代的技術の発展と国民的倫理との結合」。
民主主義の問題を統治形式の問題から区別し、「国民の思想と倫理の問題」として把握するとき、勝田によればこの問題は「単に政治の問題ではなく・・・高い意味において政治的である」とされる(p.269)。

勝田は「民主主義を教育で守るために」(1960)という論考を、民主主義に「手ひどい重傷を負わせた当の人物が「民主主義」を説教しているのを聞くと、その怒りが二倍にふくれ上る」(p.468)と熱く語るところから始め、「こういう人物を総理大臣にした私たち国民を育ててきた教育について深く考えるのである」(p.476)と締めくくっている。そのときわが国には果たして民主主義は存在していたのか。勝田は書く。「国民の怒りが瀕死の民主主義を前にして、ふくれあがっている」。しかし、「瀕死」に追いやった当の人物は民主主義的手続きに則って国民によって選ばれたのである。だからこそそうした「国民を育ててきた教育について深く考える」のであろう。 二つの国民と三つの民主主義が区別されずに混在している。このままでは理解不能である(理解可能という人もいるらしい)。筋が通るように整理してみよう。

まず、岸信介を選ぶような国民(A)と、岸の所業に怒る国民(B)がいる。実態として分裂。
このままではどうしようもない。勝田の国民教育にとって国民は「すべて」であり一つである。そうでなければそれは階級教育となる。未来の国民を(C)とする。国民教育は国民(C)を育てる。

次はこの国民教育と民主主義との関係である。
岸によって瀕死の状態に陥っている民主主義(X)と、岸が説教する民主主義(Y)と、そして岸を総理大臣にした民主主義(Z)がある。
(X)と(Y)とは明らかに対抗的にとらえられている。 他方、(Z)は(X)および(Y)とタイプを異にしているように見える。 (Z)は権力の正統化装置としての民主主義を指している。 では、(Z)から区別される(X)(Y)は何なのか?
「反動教育」(1957)がヒントになる。
教育は、社会的な仕事である。社会的な仕事に意味を与える思想は、抽象的な価値概念を指標とする。それは仕事の意味づけと方向づけの役割を果す。ところが、反動思想期場合には、個人の現実的経験から遠くはなれたシンボルの操作によって、教育の具体的で合理的な行動の意味を結果において、無にしてしまうという性格をもっている。(pp.571--572)

かつては、伝統的シンボルそのものが、権力と表裏をなして働いた。現在はたしかに事情はちがっている。したがって、新しい手段は、たえずちがった条件の下で用意される。一般に、高度に抽象的なシンボルの助けなしには、個々の経験や行動に地平の広い意味と方向を与えることはできない。しかしその抽象の次元での観念を、現実の子どもたちや青年たちの成長の可能性や国民生活の現実から生まれる教育的課題に対比して、その行動的な意味をたしかめることの困難さが、シンボルの反動的操作を容易にする。(p.573)

これからの反動的教育思想は、国民の意識のメカニズムをはかりながら、起源を異にするシンボルの操作という複雑な姿をとってあらわれるであろう。/いずれにしても、反動教育は、まず、多義的なことばを意識的に選び、それを利用して、教育の現実の問題を掩うというところからはじまる。・・・現在のように、教育的視野が国際的にならないわけにはいかない場合には、西洋起源の教育思想の伝統的諸観念を、その歴史的条件から切りはなしてこの目的のために役割を果させることも予想できる。それは影響をめざす相手次第であろう。(p.574)
(X)および(Y)の民主主義は、「社会的な仕事に意味を与える思想」の「指標」となる「抽象的な価値概念」もしくは「高度に抽象的なシンボル」であり、その抽象性・多義性ゆえに「操作」の対象となりやすい。それが「反動性」を帯びるか「進歩性」を帯びるかは「シンボル」によって指示されるもの次第である。勝田は「民主主義を教育で守るために」(1960)のなかでそうした指示されるものを明示し、その「仕事」を「教育における民主主義のたたかい」と呼んでいる。民主主義というシンボルによって指示されているもの(たとえば p.475 に列挙されているもの。当然これらは教育的価値を含んで成立する)が教育という「仕事」の実質を構成すべしというのがここでの主張である。したがって、それは、「民主主義のための教育というよりも、民主主義の教育」である(p.475)。

最後に(Z)。権力の正統化装置としての民主主義(Z)は勝田も言うように「単に形式的な政治的原則」である。それは徹頭徹尾「形式的」である。すなわち、「民主主義にとって重要なのは、その内部に、所与の権威をどのようなかたちであれ存在させないことである」(橋爪 pp.629--630)。「民主主義は何らの政治的内容も持たず、一つの組織形態にすぎない」(シュミット p.34)。だが、内容をもたないということはただちに「高度に抽象的」であることを意味するわけではない。したがって、民主主義に即して検討されるべきものがあるとすれば、それは「民主主義それ自身は単なる形式としていかなる価値をもつか」(シュミット 同)という問題であろう。しかしこの問いは問われなかった。問われたのは、形式的な民主主義がもたらしている帰結であり、さらにまたそうした民主主義システムの外部にありその帰結を権威づける国民の意思であった。

以上の議論の筋は教育学として一貫している。民主教育とは少なくとも教育的価値に合致していることを必要条件とするような教育、その意味で教育学的に正しい教育のことである。

それにたいして、民主主義は本来、決定の正統性を担保するための仕組みであって、正しさを約束するものではない。「決定が正しいかどうかということと、その決定が正統かどうかということは、別問題」(橋爪『政治の教室』p.91)。もちろん決定の質は高ければ高いほどよい。決定に参与する「国民の意思の質」を高めるのはその一つの方途ではある。しかし、この方向性には、もしそれが完全に成功したあかつきには(国民の意思が高いレベルで一つに収斂してしまうと)、究極的には民主主義を不要にしてしまうという可能性が(論理的には)伏在している。もちろん、そんなことは現実には起こりえないし、起こってはならない。「具体的には、大衆は社会学的にも心理学的にも異質である」(シュミット 35)からであり、この多様性は基本的には尊重されなければならないからである。したがって、決定において確保されるべき質(何らかのレベルにおける)が問題となる。だが、民主主義による決定によって確保されるべき質を事前に・直接に・実質的に設定しようとするとき、彼女/彼はもはや民主主義者ではなくなる。さもなくば、民主主義者として、ルソーに倣って、「一般意思は、つねに正しく、つねに公の利益をめざす。しかし、人民の決議が、つねに同一の正しさをもつ、ということにはならない。人は、つねに自分の幸福をのぞむものだが、つねに幸福を見分けることができるわけではない。人民は、腐敗させられることは決してないが、ときには欺かれることがある」(『社会契約論』 p.46--47)と言うしかない。

決定の質を損なう要因にはいろいろある。たとえば、旧教育委員会法のもとで実施された教育委員選挙がいわゆる「ボス支配」に陥ったのにはさまざまな要因が作用していた。また、わが国の国政選挙の現行形式が可能な限り最高の質の決定をもたらすものだとは考えられない。かといって完全比例代表制が絶対だとも言い切れない。つまり、民主主義という「単に形式的な政治的原則」の具体的なあり方それ自体が吟味され決定されなければならないのである。教育の組織形態としての民主主義という問題は残された。誰かが拾い上げるまではそこにある。

...to the top