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● インセンティヴ・バックファイヤー De Fraja and Landeras 2006-01-31

■ Gianni De Fraja and Pedro Landeras
■ "Could do better: The effectiveness of incentives and competition in schools"
Journal of Public Economics 90 (2006) 189--213


たまたま見かけたのでちょっと紹介してみる。といってもテクニカルな議論についていくだけの素養は情けなくも持ち合わせていないので、散文的な記述の部分だけ。
全体としては小塩隆士『教育を経済学で考える』と照準が重なっているとの印象。
だから新味に欠けると感じるか、面白いと思うかは人それぞれ。

手法的にはおそらくこの論文の売りは「努力」パラメータを明示的に導入したところにあるのだろう。
[footnote 2] 生徒の努力を教育生産関数における独立したインプットとして含んでいる経験的研究は稀で ある。おそらく、努力の独立した尺度を得ることが困難であるせいだろう。たとえば、 Hanushek(1992)の大きな影響を与えた子どもたちの量と質との間のトレードオフにかんする分析 は親の努力を社会経済的地位によって代理させている(1992, p. 90)。例外としては、 Bonesronning’s (2004) and Cooley (2004) がある。社会学や教育学の文献となるとそれほど 稀少ではない。親の努力の役割についてのメタ分析として Fan and Chen (2001)、家庭学習によ って計測された生徒の努力については Hoover-Dempsey et al. (2001) を見よ。理論的レベルに なるとこれまた稀である。われわれが気づいたもっと注目されてしかるべき論文として Correa and Gruver (1987) がある。
論文タイトルに呼応する著者らの結論は「両義的 "ambiguous"」。
インセンティヴ増強策はバックファイヤーを起こす「かもしれず」、競争メカニズムは予期せぬ逆効果を生む「かもしれない」ということが例証されている(らしい)。

だとすると、学力を向上させるために手練手管を弄するのには慎重であらねばなるまい。
受験競争再来待望論とも受け取れる議論が横行しているが、ひょっとしたら、「ゆとり」政策が学力を低下させる前に、すでに受験競争時代の過剰なインセンティヴが予期せぬ学力低下を引き起こしてしまっていたのかもしれない。

改革施策の実行は対象世界(のエージェントの行為)を変えてしまうのだから、「他の事情が同じならば ceteris paribus」なる呪文は通用しないのだという警告も傾聴に値しよう。

以下、抜粋。

主題
本論文は、生徒の教育的達成はそのピアグループと努力と学校の教授の質とに左右されるという設定のもとに、インセンティヴ・メカニズムおよび競争的環境が学校と生徒との間の相互作用にたいして及ぼす効果を研究する。(Abstract)
商業的組織と教育制度との根本的ちがい
ずばり重要なのは、学校や大学といった教育施設は顧客インプット・テクノロジーを用いるという点である。すなわち、顧客の特徴がアウトプットの質に影響を及ぼす(Rothschild and White, 1993, 1995)。このことは生徒の能力と生徒が学校で発揮する努力)のいずれにかんしても当てはまる。(Introduction)
おもな仮定
学校は、自校の生徒の平均的資質/資格 qualification を最大化することをめざす(自らの投(入)資(源)の効用コストを差し引く)。(Introduction)
生徒の目的関数は予想される将来の賃金と努力との差の最大化。(Sec.2-1)
各節の要約
Sec.2 で、われわれはモデルのアクターを提示する。生徒、学校、雇用者である。
Sec.3 で、われわれは隔離された単一の学校のケースをベンチマークを使って評価する。ここでのわれわれの主要な結論は、インセンティヴ提供と教育上のアウトプットとの因果リンクは両義的である、というものになる。すなわち、インセンティヴの強化は、生徒の発揮する努力を低下させる効果をもたらしかねない。
Sec.4 で、われわれは、競争し合う二つの学校を研究する。
生徒および親の学校選好に重要な影響をもつのは、学校の過去のパフォーマンスによって創り出された評判である。
Sec.4 におけるこのアイディアにもとづいた単純動的モデルは、評判は自己永続的 self-perpetuating であるということを明らかにする。すなわち、相対的にできる abler 生徒は、過去において相対的に良好なパフォーマンスを示した学校に通うことになるであろうし、この学校は相対的にできる生徒を集めているのだから、その学校は将来的にもより良好にパフォームするであろう、などなど。
しかしながら、競争が生徒−教師の相互作用に及ぼす効果は両義的である。優れた結果を出している学校が、実は、生徒と教師があまり頑張らない学校である、ということが起こりうる。さらに、インセンティヴの効力の増強が生徒の達成を低下させるということも起こりうる。
競争は能力による差別を創り出す。すなわち、二つの学校間の平均的能力のギャップ、およびそれぞれの結果間のギャップは、親が過去の結果により呼応的になるにつれて拡大する。(Introduction)
結論
それゆえ、われわれのメッセージは、インセンティヴ・スキームは裏目に出てしまうかもしれず、競争は予期せぬ逆効果をもたらしかねない、と言うことによって要約されうる。
このことは、学校に追加資源を投入しても結果に影響を与えないということがありうるということを示唆している経験的研究に一つの説明を提供するかもしれない。
より強力なインセンティヴにコストがかかるかぎりにおいては ― もしも教師たちがリスクを避けたがるならばそうなる ―、インセンティヴ・スキームの効力の増強は学校が利用可能な資源を増大させると同時に、他方では、パフォーマンスに両義的な効果を及ぼす。
ナイーヴな世界観 ― 他の事情が同じならば ceteris paribus ― においては、追加資源が投入されれば、それは本当に結果を改善するであろう。しかし、追加資源が教育過程に参加しているさまざまなエージェントのトレードオフにも影響を及ぼすとするならば、彼女/彼らの行為もまた変わるだろうし、それゆえ、cetris paribus という仮定は捨てられなければならない。すなわち、
全般的な効果を見定めるにさいしては、教師と生徒の行為を介して間接的に作動する潜在的な相殺効果が考慮に入れられなければならない。(Introduction)
結論
本論文は教育セクターにおけるインセンティヴの効果および教育制度(学校)間の競争の効果を研究している。
ある学校の生徒たちの結果は、学習における生徒たち自身の努力に左右され、また、学校に提供されるインセンティヴと学校が作動する競争的環境とによって直接的に影響を及ぼされるその学校の投入および教授努力に左右される。
本論文の主要なメッセージは端的に次のように述べられる。すなわち、教育過程に参加する者たちの間における戦略的な相互作用は、インセンティヴを裏目に出させかねず、競争は予期せぬ逆効果をもたらしかねない。
たとえば、教師たちが努力を増大させるとき、生徒たちは努力を減退させるかもしれない。このことは、インセンティヴの効力の増強が結果に及ぼす効果を削いでしまいかねない。
学校が相互作用しあう場合には、われわれがしっかりしたもっともらしい関数形式、変数組み合わせで示しているように、よりできる生徒を惹きつけようとするそれぞれの学校の試みは、インセンティヴの効力の増強と競争の有効性の増強が生徒たちの達成を減退させかねない程度にまで、エージェント間の関係性をいっそう複雑化する。
これらの効果はわれわれの単純化された設定においてすら出現する。たとえば、われわれの分析は、学校および教師へのインセンティヴの提供は、文献が "gaming" label のもとに分類してきた諸問題につきまとわれることはないと仮定している。すなわち、インセンティヴがある一方向において別方向によりも強力であるかぎり、エージェントたちはその方向によりいっそうの努力を合理的に発揮するであろう、と仮定している。
もしもこの可能性を加味するならば ― 教育の文脈においては明らかにそうすることはきわめて重要である ― 、インセンティヴが予測不能の効果を潜在的に有しているというわれわれのメッセージはさらに強化されることだろう。
インセンティヴにコストがかかるかぎり、われわれの分析は、いくつかの文献が同定してきた (e.g., Hanushek, 1986) 資源と結果の間の両義的な関係性のための理論的な支えを提供するものであると解釈されうるかもしれない。
政策の観点からみるならば、最低限でも次のことは言えよう。すなわち、われわれの論文は、競争的な環境を設計し、学校のためのインセンティヴ・メカニズムを改革する前に、学校と生徒たちとの間の相互作用、そしてこの相互作用における制度設計の役割を理解するためにさらなる理論的探求をおこなうことの重要性を例証している。(Concluding remarks)
・関連サイト: Gianni De Fraja

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