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● 閾値優先主義 Threshold Prioritarianismという名のいいとこ取り? 2006-10-07
以下はCampbell Brown, “Priority or sufficiency ... or both?”, Economics and Philosophy, 21 (2005) 199-220 の読書ノートである。
論文はタイトルにあるとおり優先主義と十分主義の二者択一の克服を課題としている。
構成は概ね次のとおり。
自前の道具を組み立てる → クリスプによる優先主義批判の論旨を抽出する → クリスプの唱える十分主義の欠陥を指摘する → 自説(閾値優先主義)を展開する

教育における分配問題を考える場合、ブラウンが提唱する閾値優先主義thereshold prioritarianismは啓発的だと思いました。ここで啓発的とは議論の精密化に役立ち、問題の所在への示唆を与えてくれるという意味であって、それがただちに冴えた解答を与えてくれているという意味ではもちろんありません。
ここから先は長々とメモが続きます(無保証なので不安なら原文に当たってください)。わたしの所見は最後にちょっとだけ書いてあります。
【枕】

リッチな美食家と飢えた貧乏人。キャビアをどちらかに与えなければならないとしたらどちらに与えるべきか。貧乏人。なぜ。功利主義的平等主義の回答。総効用を最大化しなければならない。しかるに、初期所有資源が少なければ少ないほど追加資源による効用は大きい(限界効用逓減の法則)。よって、貧乏人に与えるべし。
だが、このリッチな美食家にとってのキャビアの効用は貧乏人のそれと同等であるとしたらどうだろう。限界効用逓減の法則は無効である。判断停止。それでも貧乏人に与えるべしと主張したければ別の正当化を試みる必要がある。

「貧乏人のほうが境遇が悪いからである」 優先主義はこう回答する

では、スーパーリッチなキャビア中毒者と先のリッチな美食家とではどうか(両者の限界効用は等しい)。優先主義にしたがって後者に与えるべきだろうか。今度のケースは別にどっちでも構わない。でも、先のケースでは明らかに貧乏人に与えるべきだ。もしこう考えるなら、その判断の基礎にあるのは十分主義かもしれない。大切なのは「誰もがみな十分にもっている」ということだ。

【道具立て】

n人。分配xにおける人物iの善き生のレベルをx1。
x = <x1, x2, ... xn>

便益を与えられる以前の各人の善き生のレベルをw。便益のサイズをb。便益を受け取る人の数をm。
<w, b, m>

w を w + b へと引き上げることが、w' を w' + b' に引き上げることよりもつねによいならば
<w, b, m> は <w', b' m'> にたいして優先される。

【中核的優先主義テーゼ】

任意の <w, b, m> と <w', b' m'> について、
(i) w < w'
(ii) b ≧ b'
(iii) m ≧ m'
ならば、<w, b, m> は <w', b' m'> に優先する。

便益サイズと人数のところに注意。
また、与えられるべき優先性の強さについては何も語っていないということにも注意。

【絶対的な優先性】

w < w' ならば、便益サイズと人数とにかかわらず、悪い境遇にある人々(the worse off: WO)を優先すべし。
これを「WOに絶対的な優先性を付与する」ということにする。

【加重的な優先性】

良い境遇にある人々(the better off: BO)の人数がWOの人数に十分な差をつけて上回っている場合、あるいは、BOに与えられる便益のサイズがWOに与えられるそれに十分な差をつけて上回っている場合には、BOに便益を与えることを支持すべし、ということもありうる。
これを「WOに加重的 weighted な優先性を付与する」ということにする。

【中核的優先主義テーゼの混合性:著者の主要武器】

「中核的優先主義テーゼは、そのような善き生レベルのペアは少なくとも the worse off への加重的優先性を有するということを要請するが、しかし、いくつかのペアが、あるいはすべてのペアが、the worst off への絶対的優先性を有することを許す。このことは、優先性説の興味深い第三のカテゴリーを明るみに出す。すなわち、この第三の優先性説は、あるケースには絶対的優先性を主張するが、別のケースには加重的優先性のみを主張する。」

ちょっとわかりにくいので一工夫してみる。

<w, w'> のペア (ただし w < w' ) について考える。
P: b ≧ b' (WOの便益はBOの便益と等しいか大きい)
Q: m ≧ m' (WOの人数はBOの人数と等しいか多い)
R: <w, b, m> ≫ <w', b' m'> (WOがつねに優先される)

中核的優先主義テーゼは (P∧Q) → R
真理表もどきを作ってみよう。

PQR¬R
1110
1001
0101
0001
中核的優先主義テーゼの含意

上の表で ¬R: (<w, b, m> ≫ <w', b' m'>) ∨ (<w, b, m> ≪ <w', b' m'>) は、「WOがつねに優先されるとは限らない」、すなわち、BOが優先されることもあれば、WOが優先されることもある、を意味する。これは加重的優先性である。
また、当たり前だが、P, Q の真偽にかかわらず、R か ¬R のどちらかが必ず真になる。言い換えれば、「b, b', m, m' のそれぞれ任意の値に関してWOが優先される」ということがケース・バイ・ケースには起こりうる。これは絶対的優先性である。
かくして「中核的優先主義テーゼのなかには、部分的に絶対主義的であり、部分的にそうではないような混合的な見解を排除するものは存在しない。」

【クリスプによる優先主義批判】

クリスプによれば、優先主義者は絶対的優先主義か加重的優先主義のいずれかの立場をとる。

【絶対的優先主義批判】

絶対的優先主義はレキシミン基準を分配則とする。

クリスプの異議
.1人1000人
現状8.99.1
x99.1
y8.9100

絶対的優先主義は x を選択する。
しかし、善き生レベル 9.1 の1000人は 8.9 の1人に比べれば良いけれども、絶対的なレベルとしてはかなり悪い、つまり皆がかなり悪い境遇に置かれているとするならば、ここでの選択肢は「最も悪い境遇にある人にチョコレートを1枚与えて僅かばかりの救済を彼女にもたらすか、それとも、よりよい境遇にある人々の苦痛を完全に緩和するか」となる。前者のほうがよりよいと考えるのはおかしい(直観に反する)。
そこで、
[条件1] the worse off に優先権を付与しないような善き生レベルのペアが存在する。

「注意しておくが、条件1が求めているのは、the worse off に優先権を付与しないようなケースが存在するはずだということである。しかしながら、このことは、そのような優先性を付与する他のケースが存在するということと整合的である。」

【加重的優先主義批判】

クリスプの加重的優先性説
人々に便益を与えることは、それらの人々の境遇が悪ければ悪いほど、それらの人々の数が多ければ多いほど、当該便益が大きければ大きいほど重要である。
それの定式化

である場合、かつその場合にのみ、善き生のある分配 x が別の分配 y と少なくとも同程度によいとされるような、厳密に増加する厳密に凹の関数が存在する。

分配の優劣は優先性を加重された善き生の総計を比較することによって決まる。
これは条件1を満たす。しかし過剰に満たしている。

クリスプの異議
.10人m 人
現状198
x5198
y199

「ここでわれわれが直面するのは、悪い境遇にある10人の人々に大きな便益を与える(彼女/彼らの深刻な苦難を取り除いてやる)か、よい境遇にあるm人の人々に小さな便益を与える(各人にチョコ1枚ずつ与える)かという選択である。 クリスプの判断は、mの値にかかわらず、すなわちよい境遇にある人々の数がどんなに多くても、悪い境遇にあるグループに便益を与えるほうがよいというものである。」

「しかしながら、加重的優先主義はこの判断と不整合である。 とういのも、加重関数 f が厳密な増加関数である以上、98から99への善き生の増加は優先性を加重された善き生における増加となるにはちがいないからである。 すなわち、f(99)>f(98) となるような f であるにはちがいない。 ゆえに、y における優先性を加重された善き生の総計のほうが x におけるそれよりも大きくなるような mの値が存在するにちがいない。 形式的には、10f(51) + mf(98) > 10f(1)+mf(99) となるような m の値が存在する。」
そこで
[条件2]WOを絶対的に優先する善き生のペアが存在する。

【クリスプによる優先主義批判の明確化】
  1. 条件1に反するいかなる道徳的見解も受け入れることができない。そして
  2. 条件2に反するいかなる道徳的見解も受け入れることができない。しかし
  3. あらゆる優先主義的見解はどれも条件1か条件2のどちらかに反する。それゆえ
  4. いかなる優先主義的見解も受け入れることができない。
著者ブラウンは「3」を受け入れない。二つの条件を満たす優先主義の可能性を示す挙証責任を引き受ける。

【クリスプの十分主義】

オリジナル
同情原理 The Compassion Principle: 同情が入り込む閾値よりも下にいる人々にたいして絶対的優先性が与えられるべきである。 閾値より下においては、人々に便益を与えるということは、それらの人々の境遇が悪ければ悪いほど、そひられの人々が多ければ多いほど、当該便益のサイズが大きければ大きいほど、重要である。 閾値より上においては、あるいは、閾値より下でっあってもほんの些細な便益にかかわるケースにおいては、いかなる優先性も与えられないものとする。
ブラウンによる定式化
任意の善き生の分配 x について、x における閾値より下の加重された善き生の総計(所与の加重関数 f と 十分性閾値 α に関して)を

であるとし、また、x における閾値より上の加重された善き生の総計を

であるとしよう。
[絶対的十分主義]:
(i) 厳密に凹で厳密に増加する関するfが存在し、
(ii) 1次の厳密に増加する関数gが存在し、
(iii) 善き生の任意の分配xとyについて、以下の条件を満たす、十分性閾値α>0 が存在する。
  1. fとαに関して、x における閾値より下の加重された善き生の総計が、yにおけるそれよりも大きい場合には、xのほうがyよりもよい。
  2. fとαに関して、x における閾値より下の加重された善き生の総計が、yにおけるそれと等しく、かつ、gとαに関して、x における閾値より上の加重された善き生の総計が、yにおけるそれよりも大きい場合には、xのほうがyよりもよい。
  3. fとαに関して、x における閾値より下の加重された善き生の総計が、yにおけるそれと等しく、かつ、gとαに関して、x における閾値より上の加重された善き生の総計が、yにおけるそれと等しい場合には、xとyは等しくよい。
絶対的十分主義は先の二つの条件を満たす。
だが、二つの条件を満たすのは絶対的十分主義だけではない。

【閾値的優先主義 Threshold Prioritarianism】
(i) 厳密に凹で厳密に増加する関数 f が存在し、
(ii) 善き生の任意の分配 xとy について以下の条件を満たすような十分性閾値α > 0が存在する。
  1. fとαに関して、x における閾値より下の加重された善き生の総計が、yにおけるそれよりも大きい場合には、xのほうがyよりもよい。
  2. fとαに関して、x における閾値より下の加重された善き生の総計が、yにおけるそれと等しく、かつ、fとαに関して、x における閾値より上の加重された善き生の総計が、yにおけるそれよりも大きい場合には、xのほうがyよりもよい。
  3. fとαに関して、x における閾値より下の加重された善き生の総計が、yにおけるそれと等しく、かつ、fとαに関して、x における閾値より上の加重された善き生の総計が、yにおけるそれと等しい場合には、xとyは等しくよい。
「閾値的優先主義は絶対的十分主義ととてもよく似ている。 鍵となる相異点は次の点にある。すなわち、 絶対的十分主義は、閾値より下と閾値より上の被加重善き生を決定するにさいして異なる加重関数を用いる。前者は厳密に凹、後者は1次である。 それにたいして、閾値的優先主義は、いずれについても一つの厳密に凹の加重関数を用いる。 結局、閾値優先主義は、まさしく中核的な優先主義テーゼによって要請されるとおりに、あらゆるケースにおいて the worse off に優先性を与える。 閾値優先主義が先に論じたような種類の混合的見解であることに注意。 ケースによっては、加重的優先性のみを与えることもあれば(すなわち、the better off と the worse off が十分性閾値の同じ側にある場合)、絶対的優先性を与えることもある(すなわち、the better off と the worse off が十分性閾値の相異なる側にある場合)。」

【各説によって the worse off に与えられる優先性】

Worse offBetter off絶対的
優先主義
加重的
優先主義
絶対的
十分主義
閾値的
優先主義
閾値より下閾値より下絶対的加重的加重的加重的
閾値より下閾値より上絶対的加重的絶対的絶対的
閾値より上閾値より上絶対的加重的非優先加重的



私見では、「発達の必要に応じて」の精神を非情緒的に記述しようとすれば閾値優先主義になる。 付け加えると、教育によってもたらされることが期待される intrinsic な価値に着目するかぎり有効な分配則であるように見える。逆にいえば、位置財としての教育がもつ instrumental な側面に目を向けると、その有効性は目減りする。が、その目減りは問題領野の拡大にともなう相対的なものであり、正味価値が減るわけではかならずしもない。
ただし、閾値優先主義も底なし穴問題から自由ではいられない。
たとえば、論文中で引用されているRichard Arnesonが想定する選択状況
さて、閾値よりもはるかに下にいる諸個人を援助するか、閾値にきわめて近い諸個人を援助するかという選択に迫られている状況を考察してみよう。われわれは、「回避不可能なほど下にいる」グループのメンバーに・・・各々1単位の利得を与えるか・・・あるいは、回避可能な程度に下にいるグループのメンバーに各々1単位の利得を与え、そうすることによってこのメンバーの全員を閾値より上に押し上げるか、どちらをおこなうにも十分な資源をもっている。[十分主義は]、このケースにおいてはわれわれは the worse off ではなく the better off のほうを援助すべきである、ときっぱりと考えるにちがいない。
このケースにおいて閾値優先主義は絶対的優先主義(レキシミン)を採用する。そうすることにより底なし穴問題の危険にさらされることになる。それを避ける第一の道は、閾値優先主義を捨てて、アーネソンのいう「十分主義」に鞍替えすることである。それが嫌なら、加重的優先主義に転向する。あるいは、同じことだが、全員が閾値より下(上)に位置するほどまで十分性閾値を引き上(下)げ、閾値優先主義にとどまる。(カレンの議論も十分性閾値のとり方にかかわるものだった。)
でも、恵まれた者たちにより甘い加重的優先主義に移行するのは角を矯めて牛を殺してしまうようでやはり気が進まない。閾値優先主義にとどまりつつ、過度な形式的整合性を追求することを控えてapproximately justな地点に軟着陸を試みるべきか。

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