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2007-06-05

この国の教育の機会均等は大丈夫か
国立教育政策研究所統括研究官の斉藤泰雄という人が「へき地教育振興のための政策と取り組み ― 日本の経験 ― 」(『国際教育協力論集』第7巻第2号(2004)25-37)の冒頭、次のように書いている。

開発途上国の僻地の学校は、
児童生徒数の少なさから、単級学校、不完全学校、複式学級で編制されることが多い。勤務条件の劣悪さから有資格教員を確保することが難しい。家事手伝いや児童労働の要求が学習活動を阻害する。地域社会の伝統的価値と学校教育が葛藤を引き起こすことも多い。留年・中途退学者の多さや、全国的な学力達成度調査の結果などに示されるように、これらの地域で提供される教育の質がきわめて低い水準にとどまっていることは公然の事実である。
それに対して、「わが国」では、1954年「へき地教育振興法」から50年、
最近では、わが国の教育界、マスコミ等で「へき地教育」が話題にされることはほとんどない。もちろん、へき地(過疎地) と呼ばれる地域やへき地校に指定される学校が解消されたわけではない。2003 年現在でも、へき地校指定校は、小学校で約4,000 校、中学校で1,500 校存在している。しかしながら、幸いなことに、今日では、へき地での教育が「深刻な問題」であるとの認識は少なくなっている。へき地住民であるがゆえに、教育上、著しく不利な状態に置かれるという状況はほぼ解消されていると言えよう。
また、同論文の末尾近くにも次のようにある。
へき地教育への一般の関心が薄れるという状況は、へき地校が「深刻な問題」として意識されることが少なくなったということであり、少なくとも、そこで提供される教育の水準が他の学校と比べて著しく見劣りすることがなくなったことを意味している。
論証における初歩的な誤りが犯されている。
  • へき地での教育が「深刻な問題」とであるとの認識は少なくなっている(へき地教育への一般の関心が薄れている)。
  • そこで提供される教育の水準が他の学校と比べて著しく見劣りすることがなくなった(へき地住民であるがゆえに、教育上、著しく不利な状態に置かれるという状況はほぼ解消されていると言えよう)。

「へき地での教育が『深刻な問題』とであるとの認識は少なくなっている。それゆえ、少なくとも、そこで提供される教育の水準が他の学校と比べて著しく見劣りすることがなくなった」と議論されている。しかしここには飛躍がある。
問題解消は関心希薄化の理由の一つになりうるから、(b) ならば (a) であろうという推論は成り立つだろう。だが、その逆は必ずしも真ではない。
関心が薄れれば問題が解消するのなら誰も苦労はしないだろう。

件の命題が偽であることを示すには反例を一つあげれば足りる。

サイト「北海道移住プロジェクト」の開設者は、大阪生まれの東京育ち、関西の通信会社に勤めるが、学生時代から旅行でたびたび訪れていた北海道への移住を希望し退職。学校事務職員として北海道に移住する。当初「へき地での教育が『深刻な問題』」とであるとの認識はなかったが、「へき地住民であるがゆえに、教育上、著しく不利な状態に置かれるという状況」を目撃する。以下、コピペ。
● 「義務教育の機会均等」のうそっぱち
 → 地方の現状に無理解な政治のせいで地方の教育には地方の努力だけでは容易に解決できないさまざまな壁があります。
 いきなり過激な見出しですが、北海道に限らず全国的にそうです。東京など大都市に住んでいるとさほど深刻に感じないのはある意味無理ないですが、日本の歪んだ教育行政のなれの果てです。
● 地方の財政力不足・教育への理解の格差
 教育は都道府県・市町村のお金で行われます。その地方の財政は今や火の車。当然教育費もカットされます。ここには地域ごとの教育に対する理解の格差も表れます。教育に熱心な自治体は厳しい中でも精一杯の予算確保はしてくれますが、そうでない自治体もあります。教育は利権にとってはそんなにおいしい事業ではないので利権事業重視の地域は教育への理解は低いです。その結果、財政的に格差が生じ、教育活動でできることにも違いが出てきます。
 あと小規模校は相対的に財政的には厳しいです。予算は基本的に児童生徒数が配分のベースになることが多いのですが、小規模校では学校運営に占める固定費の比率はどうしても大きくなります。1人学級の運営費は40人学級の40分の1ではありえません。それはたとえば教室の装飾がそうかどうかを考えると明らかでしょう。児童生徒ひとりあたりの予算額という見方をすると小規模校の方が大きいですが、固定費を考えるとむしろ規模が小さい方が厳しいです。予算は学校運営を忠実には反映できないため、どうしてもこういう現象は起こります。
● 地方の人材不足
 大都市と地方では教員の人材の質でも差が出ます。その結果、教育レベルの格差が生じます。
 理由はいくつもあります。
 教師だって仙人じゃありません。身を捨ててまで仕事をしているわけではありません。生活条件のいい土地に住みたがるのは当然です。
 その結果、都市部への人材の集中が起こります。人材流出が続く地方の教育レベルは確実に下がります。仕方がないのでよそから新採用者を大量に連れてくることしかできず、それがさらなる教育レベルの低下、教育行政への不信を招く悪循環に陥っています。異動者の半分が新採用者という異常な地域も出ます。その中で管理職の選考や新人教員の養成がされるわけですから、連鎖的にレベルの低下が起こります。
● へき地対策のお粗末さ−「へき地手当」の問題
 義務教育の学校教職員の場合、へき地に勤務すると「へき地手当」という手当が支給されます。これは「へき地教育振興法」という法律で定められた国の制度です。この制度の表題を見た多くの人は「都市部とへき地の生活格差を埋めてくれるんだな」と勝手な想像をすることと思います。私もそうでした。でも実際にはそうはなっていません。
 この手当は学校ごとにへき地級数が定められ、その級数によって4%から25%の手当が出ます。でも20%以上もらえるのは離島の話。ほとんどは12%以下です。また北海道で言えば札幌との距離など考慮されていませんので、札幌のすぐ近くでも12%もらえたり、根室や稚内でも4%しかもらえない学校もあります。あなたならどちらがいいですか?
 もちろん物価差など考慮されていませんし、医療格差や暴利的な公共交通機関の格差、後述する高等教育不在の問題など考慮されてもいません。実際の生活格差を計算すると実態は手当額を大きく上回っています。もともとが地方のことなど何も知らない都市のボンボン官僚が作った国の制度なので北海道の特殊事情など考慮されていないのはもちろん実態にもあっていないのです。
 今の北海道では地縁血縁でもない限り一般に札幌から遠くなるほど生活費用の総額が高くなるのが現状で、よって同じ給料の場合、札幌から遠いほど生活水準も低くなります。それは生活水準に比較して賃金が切り下げられていることを示します。
 企業では地方飛ばしが左遷人事なのは常識。その上にこの手当で教師が地方で一生懸命になろうって気になると思いますか? この問題が解消されない限り地方の教育が良くなるとは思えません。教育改革などうそぶく政治家はうじゃうじゃいますが、まず憲法に書かれた「教育の機会均等」が教師の聖職意識につけ込む形でなく制度的に実現できるようにしてほしいですね。
学校事務職員であるだけに説得力があると思うのですが、いかが。
「問題」は「解消」されたのではなく「隠蔽」された可能性が高い。それも共同謀議の可能性があるということについてはかつて触れたことがあります

ついでに私の故郷の地名が出てくる関連した問題指摘を熊本県教育委員会の某頁に見つけたので貼り付けておく。
郡部と市内の教員の平均年齢は全然違います。このことを、組合はどう考えているのですか。例えば、熊本市の人が希望もしないのに人吉に異動したら「とばされた、不当差別だ」ということになるのですか。このことは、県教組も含めて考えてもらわなければいけない問題だと思いますが、これだけ平均年齢に差が出るのはおかしいことですよ。任命権者が県であれば、それは悪慣行だと思います。
ついでのついでに、「へき地」の語感には抵抗を覚えます。好ましいとは思われません。中学生の頃、この語が揶揄的に用いられていたことを憶い出します。
また、性別や所得をはじめ標準的な機会均等の諸指標も、「機会の平等へ」が喧伝されている割には、ほとんど論じられているようには見えません。もちろん、「関心」の「稀薄」さは「問題」の「解消」を必ずしも意味するものではないでしょう。若者は不作為による不正には意外と敏感なものです。鈍感なのは彼らくらいのもの。あるいは、ひょっとしたら、確信犯か。
開発途上国どころか、今この国において、「全国的な学力達成度調査の結果など」によって、「これらの地域で提供される教育の質がきわめて低い水準にとどまっていることは公然の事実である」ということが、たとえ「へき地の住民」には示されないとしても、少なくとも彼らには早晩示されることでしょう。
このさいですから、「教育振興基本計画」のなかに包括的な機会均等策を盛り込んでもらったらいかがでしょうか。

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