教職課程にかかわる者たちの目下の煩いは、来年に迫った教職実践演習(仮)導入と教員免許更新制にどう備えるかということである。後者について、早速文科省の担当者による説明会キャラバン隊が全国を巡回するとの通知が舞い込んできた。
文部官僚(文科官僚?)の実物にお目にかかるチャンスはこの種の会合くらいのもの。一口に官僚といってもいろいろなタイプの人がいる。
もはや話の中身は忘れてしまったが、現在局長の地位にある某氏の課長当時のしゃべりに接して、ああこれがいわゆる官僚答弁かと感心したり、会場正面の壁に貼られたでっかい日の丸を無視して、登壇するやいきなりしゃべり始めた若い官僚の所作に意表を突かれたり、となかなか興味深い光景を目にすることができる。
以下は、昨年12月に、かつての一橋講堂の跡地に建ったビルの巨大な広間?で開催されたある会合に派遣され出席した折に、短い報告書を求められて書いたものである。全国私立大学教職課程研究連絡協議会の「会報」No.57(2007年3月)に掲載されたものを、固有名詞をぼかして再録する。
官僚は最近の改革を、したがって実行部隊としての自らの仕事をどういう思いで遂行しているのか? 知り合いがいたら聞いてみたいところだが、残念ながらそんな知り合いはいない。
『教育のために』の「序」では、伝聞情報として若手官僚たちの「熱さ」に言及しつつも、高橋哲哉の「アイヒマン的な精神」が彼らを駆動しているという見方には留保を付しておいた。
昨年12月に直に耳にした某課長のディスコースには、そんな無定形のモワッとした問題意識をどこかしらくすぐるものが感じられたので、それについて書いている(とくに後半部分)。
印象記:学校的風景あるいは X 課長の哲学
X 氏が課長として教職員課に戻ってこられていた。必ずしもその名前に聞き覚えがなくても、介護等体験導入や実習期間延長などでてんやわんやだった頃に、全私教協の招待に応じて説明に来てくれては早口に喋りまくっていた人だといえば思い出す方も少なくないだろう。キャリア官僚としてはいささか異色のキャラクターの持ち主である。
今回の協議会は(「今回も」というべきか)良くも悪くも X 課長のその存在感が遺憾なく発揮された会であった。冒頭の挨拶からしてアクセル全開であった。予定された10分どころか20分経ってもまだ終わらない。進行担当の部下も制止に入れない様子。結局25分間、普通の人なら50分はかかろうかという分量がまくし立てられた。もちろん中身がなかったわけではなく、討議の節目節目にマイクを手にして語られたことも含めて、その発言内容には興味を引く幾多の話題もあったのだが、いかせんマシンガン・トークである、しばしばこちらの情報処理能力限界を突破する。とはいえ、それでも帰りの機内で反芻した印象的フレーズが二三あるので書き留めておく。
まず一つめは「そこまでやんなくちゃなんないのかと思われたんじゃないでしょうか」。他の参加者の報告にあるとおり A 大学、B 大学、C 大学の取り組み事例は、「1000時間の教育実習」という B 大学の謳い文句に象徴されるように、いずれもきわめて中身の「濃い」ものであった。これでは他県・他大学の担当者が「引いて」しまうのではないかという懸念と配慮を込めて発せられたのがこの X 課長のフレーズであり、「そこまでやる必要はありませんよ」というのがその含意である。あたかも、担任教師の期待を過剰達成する優等生の自由研究発表、それを唖然として聴く他の生徒たち、その生徒たちが萎縮しないように教育的に配慮する担任といった風情であった。
一方で事例発表大学の取り組みが真摯なものであったことに紛れはないものの、他方では「時間をたくさんかければいい教師ができるかどうか正直なところ確信はない」(不正確な記憶だがこのような趣旨の発言も X 課長にはあった)。が、走り出してしまっているからにはいかに落伍者を出さずに同調競争を組織するかが行政担当者の課題となるというところであろうか。
こうした一種のリアリズムは「社会が支持するかどうか」という決め台詞に端的に表れている。この台詞は X 課長の発言のなかで幾度か登場し、会の終了直前に私学の実情を訴えた D 大学 Y 先生の発言への応答のなかでも繰り返された。その「社会」とは何を指すのかと突っ込んだらあるいは面白い議論になったかもしれないし、おそらく X 課長もその手の議論は嫌いではなかろう。だが、物事の本来の順序としては、これまた「走り出す」前に済ませておくべき類の議論である。結果的に、リアリズムと並ぶ官僚制の特徴としての科学主義(合理主義)はここでは影を潜めてしまっている。
X 課長の内心は知る由もないけれど、官僚としての自負があればあるほど「社会が支持するかどうか」と言わねばならないことに忸怩たるものを感じておられるかもしれないなぁ、この台詞は現今の改革潮流に異議を唱える者たちに対するものではあるのだけれど、ひょっとしたら幾分かは御自分に向けられているのかもしれないなぁ、などと妄想に耽っているうちに千歳に着陸。午後9時を少し回ったところ。