つづきです。
その前に、
厚生経済学の基本定理について、スティグリッツの教科書から。
・ 競争経済下の経済は、パレート効率的である。
・ 社会が望むどのようなパレート効率的な資源配分も、市場メカニズムによって達成することができる。
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もし競争モデルの仮定が経済において満たされているのならば、望ましい所得分配をともなう効率的な資源配分を達成するためには、政府の唯一の役割は初期の富を分配することである。
ついでに、奥野・鈴村の教科書からも。
・競争均衡配分は、存在すれば必ずパレート効率的である。
・すべての消費者が凸選好をもっているならば、任意のパレート効率的配分は、一括税・補助金による所得の適切な再分配によって競争均衡配分として実現することができる。
では始めます。
【教育の質の不均質性】
あるパレート効率的な結果から、別のそれへと市場をシフトさせるために必要なのは、消費者間の購買力分配を変更することである。
言い換えれば、学校選択の結果は、きわめて不衡平 inequitable でも、またきわめて衡平でもありうるということだ。
結果を決定するのは、最初に各家庭の手中にある資源の相対的な量である。

【抽選方式】
曲線は、ある都市の平均的な生徒の達成の可能性フロンティアを表している。
地区 1 は地区 2 よりも貧しい。
点 A は現状。地区 2 の生徒の達成のほうが、地区 1 のそれよりも高い。
ここで、地区 2 の学校の定員の一定割合を地区 2 の生徒のために割き、抽選で入学者を決める。
すると、点 B に移動する。
それでもまだ地区 1 の生徒ほうが低いから、社会は満足しないだろう。
そこで、点 C へと。
この資源再配分のための厳密なメカニズムを発見するのは難しい。
単純だが不細工なやり方として、たとえば、定員を二通り設け、ある一定割合を地区 1 に、残りを地区 2 に割り当てそれぞれ別個に抽選する。
【オークション方式】
別の手立てとしてオークション。
成績のいい生徒を一定数入学させる権利を学校に与えるという仕掛け。
思考実験してみよう。
まず、現状を次のようなものとして押さえておく。
成績のいい生徒は概して裕福な地区出身であり、その地区内のランクの高いがに通っている。それにたいして、都心の学校に通い成績のいい生徒はずっと少ない。
加えて、学歴の高い教師は裕福な地区にある校外の学校へと移り住む。
さて、新年度の開始時に入学確保権 enrollment rights 市場が創設されたとしよう。
高成績生徒の比率は 50% とする。
高成績生徒600人、低成績生徒400人を擁するある高校のケース。
500人分の権利は有しているが、必要なのは600人分。
この学校の選択肢は二つ。
・ 200人の低成績生徒を追加で受け入れる。
・ 100人分の権利を公開市場で購入する。
このアイディアのいいところは、都心の学校が、高成績生徒の入学確保権を売り、郊外の学校によって支払われた金を預金するという点にある。
高成績生徒比率の高い学校間の競争を通じて、権利の価格は、郊外の学校にとって、高成績生徒を一人追加して入学させることと、一人分余計に権利を購入することとが無差別になるポイントまで、上昇するであろう。
かくして、一方の極においては、生徒の交換は皆無となり、
高成績生徒を擁する学校から相対的に恵まれない学校に向かって資金の交換が起こるであろう。
そして、もう一方の極においては、権利の売買はおこなわれず、
高成績生徒を擁する学校が他の学校から低成績生徒を補充することになるだろう。
実際には、われわれは両方を幾分かずつ期待することになるだろう。
すなわち、低成績学校から高成績学校への生徒の移動がある程度生じるとともに、高成績学校が、低成績生徒比率を完全に満たすことを拒むために低成績学校に対して財政補償を差し出す。[p.34]
[・・・]
都心の学校の資源が改善されることにより、都心の学校と郊外の学校の間のパフォーマンスのギャップが除去される方向に進む(ことを望む)。
翻って、このギャップの縮小が起これば、都心の学校を去りたいという生徒数は減少しうるであろうし、また、郊外の学校から資金に恵まれた都心の学校に移りたいという生徒さえ出てくるであろう。
[・・・加えて、経験豊かな教師の移動も起こりうるであろう・・・]
実際やってみると、次のような結果をもたらす公算が高まるであろう。すなわち、
ほとんどの郊外の学校は、一方で、低成績生徒をどこか別の学校から受け入れつつ、他方では、引き続き平均収容率以上の高成績生徒を入学させるべく手持ちの資金を権利購入のための支払いに供する。[p.34]
【オークション方式の欠陥とその解決策】
この方式には潜在的に致命的な欠陥がある。
たとえば、ある(本当は高成績生徒を多数擁する)学校が、「学校を地域に根ざさせる」ために、ランキング・テストの時にわざと低い点数をとるように生徒に指示する。
極端な場合には、低成績生徒のほうが多い学校であるかのように偽装する。
かくして、高成績生徒を手放さず、同時に資金面の利益も得る!
解決策(1)
そのテストに別の意味も持たせる。
卒業認定にするとか、アカウンタビリティ・システムに組み込むとか、奨学金授与の基準にするとか。
より防弾性の高い対策(2)
操作的にごまかしにくい生徒特性を活用して売買可能な権利を割り当てる。
たとえば、ランチ・アシスタンスの有無とか、親の教育歴とか、人種とか。
ただし、「裕福な生徒」枠の入学確保権を売るというのは、明らかに政治的により扱いにくいし、所与の「人種」となればもっと爆発的に扱いが難しくなる。
これらの理由により、テストに基づいて、その到達レベルにより生徒を分類するほうが、依然として不完全な解ではあるにせよ、より現実的であるということになるかもしれない。」[p.35]
[逆インセンティヴの問題]
一生懸命頑張って生徒たちの成績を上げると、それら成績が向上した生徒を自校に在校させるために権利を買わなければならなくなるとするならば、これは逆インセンティヴ perverse incentive を生む。
生徒のカテゴリー化を事前に済ませておくことにすれば(高校については中学の、中学については小学の最終学年時の成績で、小学校の場合は入学前のプレテストで)、
この難点は回避可能。
[共謀インセンティヴの問題]
売り手(高成績生徒の在籍率が平均以下の学校)が共謀して、権利の価格を吊り上げる。
対策として売値の上限を設定する。
たとえば、高成績生徒を集める学校は、欲しい数の権利を公開市場で買うか、もしそうしなければ、無権利の高成績生徒1人につき500ドルの罰金を支払うものとする。こうすれば上限は500ドルになる。
集まった罰金は全学校に均等に支給してもよいし、選択制に必要なバス通学に充ててもよい。
割当数量方式に対する権利売買方式の利点は、相対的に大きな割合の高成績生徒を擁する学校から、相対的に小さな割合の高成績生徒を擁する学校へと金が移るという点にある。
この現金の移転は、不首尾の学校に留まる生徒たちを選択制が傷つけるという、多くの人々が抱いている懸念を緩和するであろう。[p.36]
Concluding Remarks
・・・・・
学校選択に内在するさまざまな緊張のすべてを取り去ることは可能ではないだろうということは明らかであるように思われる。
たとえば、学校選択は、おそらく、現に存在しているよりも大きなヘテロ性を教授スタイルやカリキュラムに創り出すであろうし、
教育にとっての「市場」が引き起こすこのバルカン化は、多数の学校がホモジーニァスなサービスを産み出すべく競争することを通じて学校選択が学校を改善するであろうというアイディアと真っ向から対立する。
さらにまた、生徒各々に利用可能な学校の数と幅を増大させるという目標と、不利な境遇に置かれている生徒と相対的に裕福な生徒との間、人種・民族間の大きな成績のギャップを縮小するという目標との間にも緊張が存在する。
しかしながら [・・・] いくつかのテクニカルな限定を設けるなら、
競争的な諸力は、政策立案者が追求する任意のパレート効率的な結果を、平等なはたまた不平等な結果を、消費者間における購買力の初期分配に依存してもたらすことができる。
それゆえ、選択は現存する結果の不平等を拡張するであろうと懸念する者は、貧者に有利なように競技場を整地する選択プログラムを支持すべきである。
このことをある部面で達成する二つの方途があり、一つは、各学校に在籍する生徒を地理的にもしくはその他の割り当てによって決めるものであり、もう一つは、より洗練された市場メカニズム [・・・] を利用するものである。
これらの緊張はいずれもこれを完全に解決することはできないが、しかし、注意深く実施されるならば [・・・] 学校選択のシステムに付随しかねないあれこれの否定的な帰結を和らげることはかのであろう。
最後に、以上の分析から、無規制の学校選択がはしかるべき公共政策とは整合しないということは明らかであるように思われる。
あらゆる種類の市場には消費者保護に関する諸法律と政府の監視がある。学校のための市場がこのルールの例外であるはずはない。[pp.37-38]
紹介ここまで。
学校選択については賛否両論ある。
わが国の場合、批判論は、学校選択の提案がもともと反動的だ(新自由主義的・新保守主義的)と論評しているにすぎず、その固有の論理に触れるものではない。
では、賛成派が固有の論理を提示しているかというと、実はそうでもない。だから、批判側の偏りだけをあげつらってもしょうがない。
いってみればどっちもどっち。
あるのは、恣意的に(というのは穿ちすぎ? 無邪気なアカデミック・マインド そして/あるいは 純真なポリティカル・コミットメントのたんなる反映?)情報操作された世論調査と諸外国事例くらいのもの。
こうした事態はイタすぎ。
で、ロジックを確かめるために、比較的オーソドックスと思われるものを紹介した。
これに加えて、契約不可能・非対称情報下におけるプリンシパル−エージェント問題として学校選択を位置づけ、これに積極的な意義を見いだすボウルズとギンタスの議論を押さえ、
さらに(順序としてはこれが最初に来てもよいが)、政治・社会的文脈のなかに位置づけるためにレヴィンの一連の研究を踏まえておく。
せめてこれくらいを暗黙のベースにして、その先の話をしたいよね。
にしても暑すぎ